マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
新市場創造の実践理論と生成AIの活用可能性
― 「クラシカエール」の事例に基づく示唆 ―
川上 智子
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2026 年 46 巻 1 号 p. 4-13

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Abstract

本稿の目的は,新規性と有用性の2次元で定義されてきた創造性の概念を手掛かりに,新市場創造の新たな実践理論を提案し,イノベーション創出における生成AIの活用可能性を探ることである。代表的な実践理論として,エフェクチュエーション,ブルー・オーシャン戦略に注目し,ポジショニングアプローチ,資源ベース理論との比較から,市場志向と資源志向の同時追求が必要であることを明らかにする。次に,生成AIの活用可能性についても考察する。生成AIは,創造性に不可欠とされる退屈な作業を大量かつ高速に代替する一方,人間は膨大な数の代替案から選択するという別の反復作業を新たに強いられる。加えて,創造性の2次元である新規性と有用性の判断基準は組織内の文脈に依存する。したがって,パーパス等で戦略の方向性を制約して不確実性を下げ,リスクを取って意思決定する人間の役割は依然として重要である。以上の経験的証拠として,ビジネススクールでクラシック音楽の新市場創造に挑戦した「クラシカエール」の事例を紹介する。

Translated Abstract

This paper proposes a new theoretical framework for market creation based on the concept of creativity, as defined by novelty and usefulness in the literature, and explores the potential for utilizing generative (Gen) AI for innovation. We first compare two representative practice theories, Effectuation and Blue Ocean Strategy, using the Positioning Approach and Resource-Based Theory, and show that it is crucial to pursue both market orientation and resource orientation. We then discuss application of Gen AI in this area. Gen AI can execute tedious work required for creativity at high volume and speed. However, it forces humans to select appropriate options from an overwhelming number of possibilities, which is another iterative task. Moreover, as strategic decision-making on novelty and usefulness depends on the culture and context of an organization, such tedious work cannot simply be replaced. Organizations must impose meta-level constraints on their strategic direction, such as corporate and/or brand purpose, and take risks to make decisions and interrupt such new iterative work generated by Gen AI. As empirical evidence, we introduce the “ClassicAile” project conducted in collaboration with business school students, which aims to create a new market in the classical music industry.

I. 本稿の目的

本稿の目的は,新市場創造の実践理論であるエフェクチュエーション論とブルー・オーシャン戦略論を統合し,新たな実践理論を提案することである。本稿では,学者が学術的根拠に基づき,実務的に遂行可能な形で概念化した枠組みを実践理論と称する。

まず創造性とイノベーションおよび生成AIの活用に関する先行研究をレビューし,エフェクチュエーションは資源志向,ブルー・オーシャン戦略は市場志向という対称性があることを指摘する。次に,市場志向と資源志向を相補的に融合した実践事例の分析を行い,新市場創造に生成AIを活用する場合の可能性と課題についても議論する。

II. 先行研究のレビュー

1. 創造性に関する研究

(1) 個人と組織の創造性

創造性(creativity)は「個人または小集団の共同作業による斬新で有用なアイデアの生成」と定義される(Micheli et al., 2019)。この定義のとおり,創造性は個人と集団・組織という異なる分析水準で扱われてきた(e.g., Acar et al., 2018; Amabile, 2020; Shalley et al., 2004)。

個人の創造性については「創造性の構成要素理論」(Componential Theory of Creativity)が起源とされている(Amabile, 1983)。創造性の構成要素には,専門領域スキル,創造的思考スキル,動機付けがある(Amabile, 1983)。たとえばAmabile(1983)は,個人の創造性は,業績や報酬等の外的動機付けではなく,内的動機付けで高まると指摘した。

一方,組織の創造性とは,アイデア,解決策,プロセス,製品等の新規で有用な成果の創出を意味する(Acar et al., 2018)。Amabile and Pratt(2016)は,個人の創造性を集団に拡張し,組織内のポジティブな感情と創造的思考との間の相互作用を指摘した(Amabile et al., 2005)。否定されていた外発的動機付けも,創造性を高めるトレーニングと金銭的報酬を併用すれば,内発動機付けとの相乗効果があるとされた(Burroughs et al., 2011)。

Amabile and Pratt(2016)はまた,創造性とイノベーションの違いも論じた。創造性は,アイデア創出までのファジー・フロントエンド(FFE)に相当する。一方,イノベーションは組織内における創造的アイデアの実装である(Amabile & Pratt, 2016; Koen et al., 2007)。

図表1のマーケティング・イノベーション(MAIN)モデルには,発見・開発・商業化の各段階で主要な役割を果たすマーケティングとR&Dの相互作用が表されている(Cooper, 2011; Kawakami, 2005, 2013)。創造性はファジー・フロントエンドの発見段階,イノベーションは発見・開発・商業化の全段階に関わっている(Durmusoglu & Kawakami, 2021)。

図表1

マーケティング・イノベーション(MAIN)モデル

出典:Kawakami(2013)8頁,図-2を改訂。

Amabile and Pratt(2016)は,個人の創造性を組織の水準へとボトムアップ的に拡張した。一方,こうした考え方に対し,Vargo et al.(2023)は,新規性がシステム間の相互作用によって常に強化され,共創される創発性にむしろ着目している。図表1のマーケティング・イノベーション・モデルにおいても,組織内の創発性は双方向的な矢印として表記され,反映されている(Kawakami, 2013; Kawakami & Ikegami, 2017)。

(2) 創造性の概念定義

前節では個人と組織の創造性について論じたが,創造性の概念は,新規性(novelty)と有用性(usefulness)の2次元でほぼ一貫して定義されてきた(e.g., Acar et al., 2018; Amabile, 1982, 2020; Harvey & Berry, 2023)。新規性は他と比較した際の独自性,有用性は潜在的に価値がある程度を意味する(Harvey & Berry, 2023; Shalley et al., 2004)。

新規性と有用性が独立した2次元か,不分離かについては,対立する見方が存在する(Harvey & Berry, 2023)。2次元の概念であれば,単純に新規性も有用性も最大化すればよいが,新規性が高いほど,現在の組織や社会には理解されづらく,将来の有用性が低く認識される(Nakata et al., 2018)。新規性は既存との相対距離,有用性は目標との相対距離であり,絶対的な座標はない(Harvey & Berry, 2023)。さらに,創造性は時間と空間に制約され,判断の文脈も変わる(Amabile & Pratt, 2016)。組織内でも,図表1の発見段階では新規性,開発・商業化段階では有用性により焦点が当てられやすい。

このように新規性と有用性の最大化にせよ,均衡化にせよ。組織内の意思決定において認知的なバイアスは排除できない。アイデア創出にも組織の制約条件が包含されるため,創造性の生成と評価は連続的ではなく,同時に起きるという指摘もある(Harvey & Berry, 2023)。いわば創造性もイノベーションも主観的構築物であり,歴史的・地理的・社会的な文脈に制約されるのである(Amabile, 1982; Amabile, 1983; Amabile & Pratt, 2016; Nakata et al., 2018)。

(3) 生成AIと創造性

次に生成AIと創造性との関係についてレビューする。生成AI(GenAI)とは「学習データに基づいて高品質なテキスト,画像,その他のコンテンツを生成できる」AIシステムである。2022年11月にOpen AI社が大規模言語モデル(LLM)の対話型生成AIを発表し,2023年3月にはGPT-4,2025年8月にはGPT-5が公開された。

Roberts and Candi(2024)は,生成AIの普及初期の2022年から2023年にアメリカの経営者550名に調査を行い,イノベーションの全段階において,従来型AIの方が生成AIよりも利用され,開発段階の活用が最も多いと報告している。一方,Kawakami et al.(2025)が2024年に実施した日本企業247社の調査では,従来型AIも生成AIもアメリカが5段階評価で4.0以上の利用度であったのに対し,日本では3.0未満と活用が進んでいない。

このように普及速度は国や地域によって異なるが,2023年以降に急増した生成AIとイノベーションに関する言説の多くは,生成AIとの相互作用が創造性を強化すると論じる(Mariani & Dwivedi, 2024)。たとえばGrilli and Pedota(2024)は,AIは発散的思考において無数の解決策を生み出すが,人間は少数でも無限に離れた知識を組み替える別の能力があり,目標が明確な収束的思考ではAIの方が効率的に作業できると指摘している。

一方,生成AIが創造性を阻害するという議論もある。たとえば,創造的なタスクの初期段階でAIに過度に依存すると,アルゴリズムが与えた解に強く影響され,主観的な調整が困難になる認知バイアス(アンカリング効果)が生じるという(Chen & Chan, 2024)。AIは個人の創造性を支援するが,アウトプットの類似性が高まるため,集団の創造性は阻害されるという指摘もある(Doshi & Hauser, 2024)。Ogawa et al.(2024)の実験では,使用主体の専門性が異なれば,AI活用の有効性が異なることも示唆されている。

AIと人間との協働のあり方も議論されている。生成AI以前の研究では,Verganti et al.(2020)がAIの普及で問題解決はAIファクトリーと称する自動学習ループに組み込まれ,人間の役割は問題発見,すなわち物事や経験のフレーミングを変え,新たな意味を与えるセンスメイキング(sensemaking)にシフトすると論じた(Verganti et al., 2020; Weick, 1995)。

AIによる自動化が単調性や反復性を低減することを逆に懸念する研究もある。Bruns and Lingo(2024)は,深い専門知識を駆使する反復作業は「退屈な仕事(tedious works)」だが,それこそが創造性の前提条件であるとする。そして,自動化やデータの急増が進めば,むしろ単調で退屈な作業は増大し,時間の浪費や離反,情報過多が生じうると論じている。

こうした生成AIのイノベーションへの活用を解明するには,イノベーションのプロセスに対する理解が不可欠である。そこで次に,イノベーションのプロセス理論を検討する。

2. 新市場創造の実践理論に関するレビュー

(1) イノベーションの学術的なプロセスモデル

イノベーションのプロセスモデルとしては,まずステージ・ゲート・モデル(Stage-gate model)がある(Cooper, 2011)。このモデルは,イノベーションの成功確率を上げるため,膨大な成功要因研究を基に構築された(Kawakami, 2005)。この帰納的なモデルが必要とされたのは,イノベーションが予測不可能で,意思決定リスクが高いからに他ならない。

一方,不確実性や創発性を正面からとらえた研究もある。1970年代には「ゴミ箱モデル」が提示され,偶発的な結びつきや問題と解決策の逆転現象などが指摘された(Cohen et al., 1972)。1990年代,潜在ニーズの発見から合理的に開発が進むプロセスを「事後的に構成された神話」と論じたIshii(1993)は,世界的に最も早い時期の研究である。ジャズに例えた即興性(Moorman & Miner, 1998),計画と行動の相互作用を認めた状況論(Kawakami, 2005; Suchman, 1987)も事前計画の合理性と創発性を共に包含する研究の例である。

その後,NCD(New concept development)モデルでは,イノベーションの初期段階を連続(リニア)ではなく反復する循環(円弧)と明示した(Koen et al., 2007)。組織内でブレークスルー型のイノベーションを起こす人材であるシリアル・イノベーターの研究でも,ファジー・フロントエンドは本質的に混沌として非線形であると論じている(Griffin et al., 2012)。

(2) 新市場創造の実践理論としてのエフェクチュエーション

さらに近年,開発初期のファジー・フロントエンドに留まらず,イノベーションのプロセス全体の不確実性に対処する方法として,より実効性の高い実践理論として提唱されたのがエフェクチュエーション(effectuation)である(Read et al., 2015; Sarasvathy, 2001, 2008)。

エフェクチュエーションは,資源の乏しい起業家が不確実性の高い環境下で新しい市場の人工物(例:企業)を創出するために行動する現象を描写した記述理論である(Arend et al., 2015; Sarasvathy, 2001)。よって,企業規模を問わず,さまざまなイノベーションに適用することを前提に法則化した一般理論ではない。ステージ・ゲートを導入しなかった中小企業にエフェクチュエーションが導入されやすいと論じる研究もある(Berends et al., 2014)。

一方,学術的には先行研究への言及が不十分で,革新的な理論と見えやすいという批判もある。競争状況等の外部環境も考慮されていない(Arend et al., 2015)。起業家を前提としているため,図表1で示した組織内の関係も直接的には論じられていない。さらに,商業化段階における製品ライフサイクルの管理やブランド育成といった論点も見受けられない。

こうした指摘を参考に,エフェクチュエーション理論を,同様に新市場創造の実践理論であるブルー・オーシャン戦略(Kim & Mauborgne, 2005),伝統的な競争戦略論である資源ベース理論(Barney, 1991; Wernerfelt, 1984),ポジショニングアプローチ(Porter, 1980, 1985)と比較した(図表2)。図表3のとおり,新市場創造を企図するエフェクチュエーションは資源志向,ブルー・オーシャン戦略は市場志向をより重視した実践理論といえる。

図表2

新市場創造の実践理論と伝統的な競争戦略論との比較

図表3

新市場創造の実践理論の類型化

ブルー・オーシャン戦略の出発点は買い手にとっての効用であり,マーケティングの便益に相当する。一方,エフェクチュエーションは起業主体が何を知り,誰を知っているかを起点とし,市場での対話の中で新たなセグメントを共創する(図表4)。エフェクチュエーションには市場で競争力を持つか否かの検証はなく,資源志向の実践理論といえる。

図表4

ブルー・オーシャン戦略とエフェクチュエーションの顧客定義の違い

出典:Kim=Mauborgne(2005)Sarasvathy(2008)

以上のように,エフェクチュエーションとブルー・オーシャン戦略は,資源志向と市場志向という対照的な志向を特徴としている。次に両者の相補性を事例分析で確認する。

III. 事例分析:クラシカエール

1. プロジェクトの契機

本稿で事例として取り上げるのは,早稲田大学ビジネススクール(以下,WBS)の社会人学生が2017年から2023年までの6年間にわたって取り組んだ「クラシカエール」というプロジェクトである。クラシカエールはクラシック音楽の新市場創造を目的とした問題解決型プロジェクトで,ネーミングには「暮らし・変える」の意味がある。

プロジェクトは,2017年5月8日,WBSの事務所に届いた1通のメールから始まった。発信元は,早稲田大学を卒業し,民放テレビ局で報道局経済部デスクを務める鰺坂圭司氏であった。鰺坂氏は,会社員の傍ら,幼少期から夢だった指揮者を志してロシアに留学し,帰国後,小澤征爾他を輩出した桐朋学園大学で学び,指揮の訓練のために,自ら音大生を集めて「エール管弦楽団」を結成していた。メールには,音大生が音楽を職業として続けることが困難な現状,クラシック業界における経営感覚の必要性が述べられ,楽団を研究テーマとして取り上げてほしいとあった。音楽の世界と無関係の人間が俯瞰すればクラシック業界のビジネスモデルを革新できるのではないかとも書かれていた。これに共感した教授が社会人ゼミの課題解決型学習(PBL)プロジェクトとして受託し,鰺坂氏との共同研究が始まる。

2. 第1回リラクシーモの開催

2017年5月時点で,既に2018年3月3日に約2,000名収容のミューザ川崎(神奈川県)でコンサートを開催すること,ベートーベンの交響曲第9番という曲目は決まっていた。社会人ゼミの学生はその条件を前提に,主にコンサートのコンセプト,STP,4Pを企画・実行する課題を与えられた。メンバーは日本人学生3名,留学生5名,計8名であった。

活動の結果,第1回のテーマは「五感デトックス」と決まった。当時のクラシック音楽に関するイメージ調査で,約5割が「癒し」と回答していたためである。一方,知的で高尚なイメージがそれぞれ約3割,眠くなるという回答が1割強あった。このデータに基づき,学生たちは,聴覚だけではなく,視覚を始め,五感を総動員して,癒しを与えるコンサートであれば,より多くの人が足を運びたくなるのではないかと仮説を立てたのである。

ネーミングは「癒し」と音楽用語的な響きを掛け合わせた「リラクシーモ」が選ばれた。ブルー・オーシャン戦略の理論に従い,ターゲット層は,クラシック音楽のノン・カスタマー(非顧客)である20~30代前半の男女(F1/M1)で,ワンランク上の体験価値に投資する人と設定した。価格はアマチュア公演価格よりもやや高い4,500円とした。プロモーションはSNSを中心に,会場付近の商店街におけるチラシ配布,イオンモール他における月2回のミニコンサート等,リアルなタッチポイントもカスタマージャーニーに組み込んだ。趣旨に賛同したPR会社の後援で,大学内で記者会見も行い,複数の有力メディアで記事化された。

五感のうち,まず視覚は,金沢工業大学 松林研究室との連携により,同大学と協働していた石川県在住のアーティスト長谷川章氏が「デジタル掛け軸1)」で協力した。松林研究室とゼミとの連携は,教員同士が大学時代の同級生で,2015年に再会したことがきっかけである。味覚は,石川県にある老舗企業のライスミルクを会場でサンプリングした。触覚は,滑らかなものとザラザラしたものを曲想に応じて触るという趣向で,前者は松林研究室が金沢で営むデジタル掛け軸の常設カフェのキーホルダーが無償で配布された。後者は公演日の3月3日にちなみ,Sansan社から名刺サイズの和紙製のシードペーパーが寄付された。シードペーパーは土に埋めると発芽するため,公演後も記憶をつなぐ意味が込められた。

嗅覚は,2017年8月に企業研修を受講した香料メーカーの専務に教員が提案し,快諾を受けた。同社がB2BからB2Cへ事業を展開するタイミングも追い風となった。彼は事業承継し,2025年現在,代表取締役社長に就任している。最初にホール内に香りを満たす案を検討したが,座席等の布類に付着するリスク等の理由で,許可が出なかった。試行錯誤の結果,ホール入り口付近に同社オリジナルの「雪」の香りをディフューザーで噴霧して入場待ちの観客に届け,期待度を高めた。雪の香りは北陸を連想させるものであり,石川県の地方創生というテーマの一貫性も意識した(The Nikkan Kogyo Shimbun, 2017)。

「リラクシーモ」公演当日の来場者調査によれば,回答者の約3割が30代以下で,クラシック音楽の主力層である60歳以上は約1割しかいなかった(N=83)。コンサート経験回数も年2回以下が約5割を占め,ノンカスタマーの集客には成功していた。観客数は500名強と予想より少なかったが,五感のコンセプトは5段階の4.3と高い評価を受けた。

3. クラシカエールとブルー・オーシャン戦略

その後,クラシカエールは2023年まで毎年開催された(図表5Nakayama, 2023a, 2023b)。いずれも第1回と同様,ブルー・オーシャン戦略に従い,ノンカスタマーの20–30代をターゲットとした。第2回の空手カルメン協奏曲では,子育てしながら通学中の女性2名の経験から4歳児以上を入場可とした。集団教育が始まれば長時間,集中できるためである。他のコンサートほど静かに着座しなくてもよいと訴求し,他の観客にも周知した。

図表5

クラシカエールの開催実績

ただし4歳児以上が対象であっても,楽曲は子ども向けにせず,伝統的なクラシック曲にこだわった。ゲームやアニメ等の馴染みやすい曲を演奏すれば,一時的な集客にはなる。しかし,クラシカエールの目標は「暮らしを変える」ことであり,指揮者の鰺坂氏が音大生の将来を憂いたように,新しい顧客を創造しなければ,クラシック業界の先行きは厳しい。クラシカエールは,入門層が斬新な企画に魅かれてコンサートに足を運んだ後,他のクラシックコンサートも参加するようになる送客を目指した,既存のコンサートとは直接,競合しないブルー・オーシャン市場の創出がプロジェクトの目的であった。

ブルー・オーシャン戦略を適用したのは,教員が同理論の提唱者のキム=モボルニュと日本企業のケースを執筆し,早稲田ブルー・オーシャン戦略研究所を2016年に設立する等,同理論の専門知識を有していたからである。海外では,クラシック音楽の事例が複数,紹介されていたことも参考にした(Kim & Mauborgne, 2005, 2017)。

図表6がクラシカエールの戦略キャンバスである。クラシカエールは,映像やAI曲,ARといったスマート技術を導入し,他分野で活躍するプロをキャスティングして,新たな便益を創出した。一方,有名なソリストや紙のパンフレット等を取り除き,ビジネススクールの教員と学生がPBLで支援して,プロデュースやマーケティングの費用も削減した。

図表6

クラシカエールの戦略キャンバス

4. エフェクチュエーションとパーパスの必要性

こうしてマーケティング・イノベーション・モデル(図表2)に基づき,ブルー・オーシャン戦略のフレームワークに従って,クラシカエール・プロジェクトは実行された。しかし,実際にプロジェクトが始まると,想定外のことが次々と生じた。

たとえば,初年度にデジタル掛け軸をクラシックのホールで実施した際には,電力が足りず,電気工事が必要となった。シルク・ドゥ・ソレイユ他の演者による空中演舞では,落下時に備えた安全対策も講じた。効率的ではなかったが,逆にそれが創造的な解につながった。業界の常識や限界を知らないからこそ,簡単には諦めなかったためである。

とくに異分野からのソリストのキャスティングは企画の要だった。しかし,チケット売上のみで運営したため,予算は限られていた。パートナー探しは第3回まで主に教員が行っていたが,第4回からは学生がより積極的に関与するようになった。コロナ禍で開催を延期した後,第4回の企画時にクラシカエールのパーパスをより明確に定めたためである。

パーパスとは,ステークホルダーのために解決しようとする商業的・社会的問題を統一的に表現したものである(Gulati, 2022)。クラシカエールのパーパスは「クラシック音楽で暮らしを変え,人々を応援するソーシャル・エンターテインメントの創出」となった。応援というキーワードとソーシャル・エンターテインメントという新たなカテゴリー名を入れたことで,環境や社会課題解決の方向性が定まった。組織内でパーパスが共有された結果,キャスティングの際にパートナーからの共感もより得やすくなったのである。

図表7は第6回「筋肉協奏曲」について,エフェクチュエーション理論を用いて分析したものである。分析の結果,5つの原則すべてに該当する要素が発見された。同様に,過去計6回のクラシカエールすべてにおいて,5つの原則に該当する要素が確認できている。

図表7

クラシカエール第6回「筋肉協奏曲」のエフェクチュエーション理論を用いた分析

注)定義はSarasvathy(2001, 2008),Read et al.(2015)を参照。

以上のように,クラシカエールは,マーケティング・イノベーション・モデルに従って計画され,ブルー・オーシャン戦略に則って実行された。しかし現実には,エフェクチュエーションの5つの原則に従う必要があった。これらの理論は相補的に用いられたのである。

5. 事例分析に基づく生成AIの活用可能性

クラシカエールは生成AIの普及前に終了したため,AI曲の作曲以外には活用していない。しかし,クラシック音楽と筋肉のように,相当かけ離れた新規性の高い企画を生成AIが発想し,かつキャスティングが可能か,仮に発想できたとして「退屈な」作業を節約した人間が実行のリスクを取れるかと考えると,可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

今後の検証は必要だが,仮説として,組織のパーパスを策定し,斬新な企画と現実的な目標との距離を縮めて有用性を高め,ステークホルダーのエンゲージメントを高める活動は,生成AIの活用だけではおそらく難しい。生成AIが生み出す膨大な選択肢を組織の文脈に合わせて選択し,適合させる「退屈な」かつ重要な作業に向き合うのは,やはり人間なのである。

IV. 学術的・実践的示唆と今後の課題

本稿は,新市場創造の実践理論であるエフェクチュエーションとブルー・オーシャン戦略の相互補完性を指摘し,学術研究の中に位置づけた。この点が第1の貢献である。第2の貢献として,創造性やイノベーションの方向性を組織のパーパス等によって制約する必要性を経験的証拠と共に指摘した。さらに,組織の文脈が主観的に構成される限り,生成AIの膨大な解を自動的に選択することは論理的に困難と論じた点が第3の貢献である。

実践的示唆としては,エフェクチュエーションやブルー・オーシャン戦略の融合した実践理論を提案した。マーケティング・イノベーション・モデルも成功確率を向上させるために併用すべきであるが,イノベーション・プロセスはより創発的である。

今後,AIの創発性が強化され,組織の文脈に応じてフィルタリングすることも技術的に可能になるかもしれない。しかし現時点では,組織内の文脈と意味の解釈(sensemaking),リスクを伴う意思決定と実行段階の創発的な相互作用に関して,生成AIの活用には限界がある。本稿が創造性とイノベーションに関する今後の研究と実践に寄与すれば幸いである。

謝辞

本研究はJSPS科研費基盤研究(A)24H00148,同挑戦的萌芽研究22K18539,同基盤研究(B)24K00291の助成を受けています。クラシカエールに関わって下さった,指揮者の鰺坂圭司氏とエール管弦楽団,パートナーの皆様,WBS川上ゼミ修了生に心より御礼申し上げます。本稿の草稿にコメントを頂いた鰺坂圭司氏,早稲田大学の林 泰弘教授,根本直子教授,金沢工業大学の松林賢司教授,早稲田大学招聘研究員の永井直樹氏にも深く感謝します。

1)長谷川章氏が創始した約100万枚のデジタル画像を地球の自転スピードで変化させるアートのこと。

References

川上 智子(かわかみ ともこ)

早稲田大学大学院 経営管理研究科(ビジネススクール)教授。早稲田マーケティング&サステナビリティ国際研究所所長,早稲田ブルー・オーシャン・シフト研究所創設者。アジア・マーケティング研究者トップ100。国際学術誌に多数の論文を刊行し,編集委員も務める。

 
© 2026 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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