「自然とともに生きる民族」という文化本質主義的なイメージは, 現代のアイヌをめぐる表象において定型化しつつある。かつて支配的な言説を通じて流布したこれらのイメージは, マジョリティの側の否定的な意味付与を反映して, アイヌの自己呈示の文脈においてもまた否定的な価値を帯びたものと位置づけられていた。ところが逆に今日では, それらのイメージがポジティヴな価値を付与されてアイヌの側の自己呈示の発話のなかに再コンテクスト化されてきている。それはとりわけ1970年代頃を境として見られるところの, 「発話するポジション」の多極化と, それとは逆に多様なポジションから想像されるエスニックイメージの一元化との並行的な展開を通じて顕著となってきた現象である。このようなアイヌによる差異の呈示の発話がマジョリティの言説と取り結ぶ関係を考察した場合, そこに看取されるのは, 支配的な語りに対するオールタナティヴな表象を新たに呈示する「声」の獲得, という対位法的な図式とは異なり, 複数のポジションがある共通の表象をそれぞれに異なる形で発する「へテロフォニック」な状況である。