民族學研究
Online ISSN : 2424-0508
穂積陳重と日本人類学の起源 : 「家」/戸籍と彼の登録進化論を中心として(<特集>統治技術から人類学へ)
坂元 新之輔
著者情報
ジャーナル フリー

2000 年 64 巻 4 号 p. 505-520

詳細
抄録

穂積陳重(1855-1926)は, 明治・大正期の日本国における代表的な官僚法学者として知られているが, その一方で当時の進化論にもとづく人類学の「アマチュアの域をこえた」研究者でもあった。しかし, 安楽椅子人類学者として彼を位置付けた日本人類学史は見当たらない。本稿は, この日本人類学史における穂積陳重の不在現象を指摘し, その理由の分析を試みたものである。その方法として当時の「野蛮国」日本に不完全な主体性しか認定しなかった近代国際法と, 「文明国」昇格の実質的要件の一つであった明治31(1898)年施行の日本民法典の関係に注目した。穂積陳重は, 「欧米的」=「文明的」な法典編纂という外部からの要求と, 非「欧米的」ゆえに非「文明的」と見なされかねない「家」/戸籍という法制度の存続という内部からの要求の両方を満たす手段として, 法律進化論を相当に無理のあるかたちで利用していたのである。この「文明国」への昇格は, 日本人の規範とその実践の大部分を「文明人」の「文明的」な「法律」問題として法学の対象とし, 非「文明人」の非「文明的」な規範とその実践を扱う(文化/社会)人類学の研究対象からの排除を準備するものであった。この研究対象を基準とした人類学と法学の範疇分離こそが, 穂積陳重を法学者であるがゆえに日本人類学史から排除してきた主原因であったと考えられる。

著者関連情報
© 2000 日本文化人類学会
前の記事 次の記事
feedback
Top