本稿は, プラトン 『ソクラテスの弁明』 の 「脱線」 と呼ばれる部分に焦点を当て, 自己の哲学活動を詳述するソクラテスのレトリックを分析する。先行研究では, ソクラテスがこの箇所で無罪判決を目指したのか, それとも死刑をかえりみず哲学的真理を提示したのかという点で解釈は分かれるものの, 哲学と政治の懸隔ゆえに彼が民衆から理解されず処刑されたとする見解はほぼ共有されている。これに対して本稿では, ソクラテスは都市の伝統的価値観を活用することによって自己の英雄化をはかっていると主張する。ギリシアの伝統文化と彼の演説を照らし合わせることで, ソクラテスが自らの演説によって民衆のもつ哲学者のイメージを改変し, 哲学を都市にとって容認可能なものにしようと試みていることが明らかになる。この議論を通じて, 『弁明』 全体の再解釈を促すのみならず, 西洋政治思想史の起源に位置するプラトンの政治観, とりわけ哲人王思想の読み直しを提起する。