1906年,Pierre Marieは,失語症における機能局在論を攻撃する3つの論文を次々に発表し,Dejerine夫妻の提唱する機能局在論を真っ向から否定した.その結果として,Dejerine夫妻とMarieは,弟子たちをも巻き込んだ公開の“失語論争”を行ったが,どちらも対立する相手を論破することは出来ず,論争の決着はつかなかった.しかし,この論争の元となったMarieの論文を検討すると,彼が重大な解剖学的誤謬を繰り返しているのに気付かされる.それだけでなくDejerine夫妻側にも,同じような誤謬が見いだされる.彼らの解剖学的誤謬が教えてくれるのは,水平断脳スライスにおける大脳皮質領域同定の難しさである.