相愛女子短期大学
1987 年 36 巻 12 号 p. 11-21
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明治三十八年、満二十歳の中里介山は社会主義を捨ててトルストイズムに赴き、トルストイから思想的にも文学的にも多大の影響を受けた。そこで、本稿は介山のトルストイ受容の実態について考察を行った。すなわち、革命・革命家観の点で社会主義とトルストイを対立的に捉えた介山は、トルストイの教えに従い農村に拠って都会の虚偽なる文明と戦い「革命」をなそうと考えた。一方、芸術論に共鳴したほか、日本のイワンを描こうとし、やがて『大菩薩峠』の与八を生み出したのである。
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