1988 年 37 巻 11 号 p. 25-35
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『今昔』で天狗の来迎に謀られた三修禅師の名は、もともと別系の伝承からすべり込んだものであった。その背景には、「無智と法文不学」の句に象徴される、山籠行者への評価の歴史的な変容がある。同時に、三修が話の中で優婆塞から念仏聖人に入れ替わってしまった時、浄土教系説話史上、「無智と法文不学」と天狗の妨害が結びつくこの話は、新たな課題を示した往生失敗談として息づき始める。小さな話にも歴史の流れがある。
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