1996 年 45 巻 3 号 p. 13-23
『教学聖旨』(明治12年)は天皇の公教育に対する最初の直接介入として注目されるが、楠公父子の物語はこの『聖旨』を忠実に反映した欽定修身書『幼学綱要』(明治15年)に大きく採り上げられ、以後、敗戦までの教科書において「尊王愛国」「忠孝一体」思想のプロパガンダに利用される。しかし、その影像は中世に生きた『太平記』のそれではなく、国教主義に基づく天皇思想から染め直された。"虚像"に過ぎなかった。こうした。"虚像"を幼童の「脳髄」に刻印していくところから天皇制教育は始まり、やがて「忠良」なる天皇の軍隊の思想的基盤を形成していくのである。