2000 年 49 巻 1 号 p. 21-31
時代錯誤的な天皇在位十周年「国民祭典」が挙行される現在、<日本国民>の空疎な主体化は空疎な象徴システムによって末期的に進行している。こうした空疎な象徴性と、現在の大学改革における名と実との記号的関係の空疎さは奇妙に呼応してしまう。ちょうど二十世紀のスパンと重なる<国文学>を批判的に総括しておくべき時は、今を措いてないだろう。文献学/文芸学/歴史社会学派に通底する国民文学的な志向と、敗戦の日を挟んだその連続と断続の諸相について考察することで、その総括への通路を拓いてみたい。