抄録
安徳天皇が女性ではなかったか、という噂は、江戸時代の随筆などではかなり見受けることができ、安徳が実は壇ノ浦では死なず、薩摩や摂津の山中などへ逃げ延びたという伝説とともに、人口に膾炙していたようである。その理由として、『平家物語』「公卿揃」で、安徳生誕の折り、甑を間違って落としてしまった、という逸話が挙げられることが多い。たしかに安徳は、建礼門院のいわゆる「地獄めぐり」で、法華経による救済を望んでいたし、『愚管抄』では女神である厳島明神の化身だとされていた。これらの例を見ると、史実はともかく、海の底へ「帰っていった」安徳が童子であったがゆえに八歳で成道した海龍王の娘と重ね合わされていたことは明らかであろう。