2006 年 55 巻 6 号 p. 11-24
『平家物語』研究において、あるいは学校教育において、知盛は運命の人として称揚され続けてきた。しかし中世から近世にかけての享受としては、諦念を抱いた知盛像よりも怨みを持ち怨霊化する知盛像が主流であった。そこで、知盛を運命の人とする近代的な読み方を検証し直す必要が生じる。延慶本以外のほとんどの諸本は、知盛が阿波の民部裏切りを知ると、女房たちの船に乗り移り、掃除をして、東国の武将たちに陵辱されるであろうと脅しをかける。このような知盛の作り出す文脈は、己の理想とする美的最期を達成しようとするものでしかない。しかし中等教育では、知盛を英雄とすることで、死を美学化してしまっている。このような死の美学化に抗するためにも、英雄・知盛像とは違う知盛像をテクストから還元しておく必要性がある。