高知県立大学
2011 年 60 巻 5 号 p. 40-45
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益田勝実の「漢文にはカタがあったが、和文(散文)にはカタがなかった」という見解に反論する。「漢詩文発想の和文」という視座から初期散文文学である『土左日記』の言説は生成されていったと説く。具体的には、漢詩文に長じている作者、紀貫之は、初期散文を生成する際に、「異言語」である漢詩文の「対」の発想を規範として、「虚構」の場面や日次の記事を紡いでいったことを論じている。
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