2013 年 62 巻 2 号 p. 36-49
先ずこの小説の〈語り手〉が語りかけている相手、〈聴き手〉は「鉄の部屋」の檻に閉ざされていることである。次に「私」の想起する閏土は昼にして夜という二重の時空間(パラレルワールド)を背景に見せ消ちで登場する。第三にその「私」が「三十年前」と言うべきところを「二十年前」と間違える。これは楊おばさんのことが十代だった「私」の記憶から消えていることと呼応する。小英雄閏土と出会った私には〈空白の十年〉が隠れている。第四に、『故郷』は一人称小説だが、この〈語り手〉の「私」は「多層的意識」を抱えている。これを読み落とすと、次の六の問題と重なって、現在の〈読まれ方〉、主人公主義のストーリーで読まれてしまう。第五、生身の〈語り手を超えるもの〉が読まれなければ、この小説の基本的枠組みは捉えられない。一人称の〈語り手〉のまなざしの〈向こう〉は直接語られていないが、〈語り手を超えるもの〉のレベルで浮上する。最後に問題の急所、末尾の有名な「希望」の論理は一人称の「私」の〈語りの擬態〉を〈語り手を超えるもの〉が暴きだした上で語られている。この「希望」は全ての観念を超えて〈言語以前〉を潜って語られ、毛沢東の永久革命の理想を実践している。