日本文学
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特集・日本文学協会第70回大会(第一日目)第三項と〈世界像の転換〉――ポスト・ポストモダンの文学教育
第三項理論に拠る教育・授業
――合言葉はF 続き――
難波 博孝
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2016 年 65 巻 3 号 p. 15-27

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抄録

私は、二〇一五年八月号で「合言葉はF」という題目の文章を書いた。Fとは関数のことである。私たちは、私の内部や外部のものと出会った瞬間、さまざまなFの関数を掛けている。その出力を私たちは「そのもの」と信じている。Fは関数の象徴であり、人により状況によって、そのFの構成関数は変わる。こういうことを書いた。

このことをふまえて、今度は教育のことについて考えたい。文学の授業が行われる場所では、教師・ある学習者・他の学習者・学習者集団・教科書・文学作品・作者・語り手・登場人物・教室・学校・教科書編集者・教科書会社・国家・地域社会・家庭・などなど、恐ろしいほどの数の、それぞれの関数が錯綜する。そのなかで、文学を使って、教育をするということはどういうことか、考えたい。

ヒントは、Fの力、である。私が、あるものと出会った瞬間にFという関数を掛けるのだが、その関数を掛ける前、掛けている最中、掛けた後の、その姿は、見られている。具体的には、私があなたと話をしている時、あなたの話を聞いて(そのもの)、その瞬間に自分の関数(F)を掛け、関数をかけた後の出力を私が受け止めている時、その全ての様子(相貌)を、あなたは見ている、ということである、恥ずかしいことに。言い換えれば、わたしとFとのやりとりが、あなたに何らかの影響を及ぼすということである。ここに私はFの力をみる。ここに、教育のヒントがあると、私は信じている。

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