日本考古学
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埼玉将軍山古墳出土馬冑資料の基礎研究
太田 博之
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1994 年 1 巻 1 号 p. 103-125

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抄録

本論は埼玉県埼玉将軍山古墳から出土した鉄製馬冑に関し,既存の馬冑資料中での系統的位置,製作年代,系譜,製作地,伝来の時期および背景について考察を加えることを目的としている。
埼玉将軍山古墳出土馬冑の年代については,これまで既存資料の単系的序列に当てはめることによって求められてきた経緯があり,それによって導き出された固定的な年代観をもとに,馬冑伝来の歴史的背景が語られてきた。
本論では日本列島,朝鮮半島に出土する馬冑資料を集成し,属性を抽出して分類を行い,その分類結果の相関関係から馬冑には複数の系統が存在する事実を確認した。これによって従来示されていた単系的な年代序列は否定され,あらたに埼玉将軍山古墳出土馬冑の系統的位置づけが明らかとなった。さらに系統内での個体変化の観察から,おおまかな製作年代を推定した。
系譜,製作地については,列島,半島出土の既存資料も含め検討を行った。系譜については,中国南北朝や高句麗地域に見られる磚画,画像磚,陶俑,古墳壁画になどに表現された馬冑との形態比較から,高句麗地域に求められるべきものと考えた。
製作地については設計,打出,裁断,連接など列島,半島出土の馬冑と基本的な製作手法の共通する加耶地域の甲冑との比較を通し,洛東江下流域に特徴的な竪矧板鋲留短甲との隔絶性を確認した。しかし,製作年代の下る可能性のある埼玉将軍山古墳例については特定するに至らなかった。
伝来の時期は関東各地の古墳に多くの渡来系器物の副葬が見られる現象と連動するものと考え,6世紀中葉から後半の時期に求めた。また,その背景には,6世紀の関東における軍事基盤の存在と東国首長層の朝鮮半島での軍事行動を考える意見に対し,甲冑出土古墳の理解についての批判を加え,加耶を含む朝鮮半島での広域的な政治変動とそれに伴う階層的上位者の列島への流入と定着という社会状況を想定した。

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