日本考古学
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中ッ原遺跡の発掘調査
縄文時代後期大形仮面土偶の検出
守矢 昌文
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2001 年 8 巻 11 号 p. 145-152

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抄録

中ッ原遺跡は,八ヶ岳西南麓の北西側に位置する,長野県茅野市湖東山口地区に所在する縄文前期から後期にわたる代表的な集落遺跡である。数回の発掘調査によりほぼ集落形を把握することができた。それによると,集落は環状集落となり,東環状集落,西環状集落が鎖状に繋がる連環状を呈し,やや離れて台地先端環状集落が形成され,遺跡全体の占有面積は約23,000m2に及ぶ。
2000年度発掘調査において,東環状集落中央部広場に展開する土坑群の中央部に占地する第70号土坑より,縄文時代後期前半の大形仮面土偶がほぼ完全な形で,埋置されたような状態で検出された。土偶を出土した土坑は鉢被葬のなされた墓壙に囲まれた墓域と思われる位置に構築されている。土坑の構築方法や平面形,覆土の状況等より第70号土坑も墓壙としての性格が考えられる。
土坑内に埋置されていた土偶は,高34cmを量る大形土偶で,顔面に逆三角形の仮面を思わせる表現,体部・脚部が中空に作られ,腹部が大きく張り出すもので,中部地方の一部に分布する特徴的な土偶である。
土偶は入為的に土坑に埋置されており,それが埋葬に伴い副葬品として埋置されたものか,土偶自体の埋置を目的としたものかは判然としてはいないが,土偶の埋置状況より土坑の性格と密接な関係を有していたものと考えることができる。右脚の破損状態が人為的な状況とも考えられる点などより,土坑の埋め戻しの中で,土偶の右脚部を外し,土偶体内に詰物をし再度現状に復し,側臥の状態で埋置したというような一連の行為を想定し得る貴重な例と言え,土偶の性格を考える上に興味深い所見であり,新たなる土偶祭式の在り方を提示するものである。

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