有機体は自らをとりまく環境のなかで、免疫反応に見られるように、自己と非自己を何らかの仕方で識別しつつ生きているということ、そしその自己というシステム全体は部分の総和としての「集積的全体(pân)」ではなく、諸部分に還元されることのない一なる原理のもとに「統合的全体(holon)」として生きているということ、この考えに賛同できるなら、アリストテレスの生命観を一つの現実的な可能性として受け止めうるのではないか。さらに、生命事象の物理生理的説明と目的論的説明は単に両立可能であるというだけではなく、生体の諸事象は現実に目的的なものであるという主張を一つの挑戦として掲げてみたい。