大阪歴史博物館研究紀要
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隋唐初の複都制
七世紀複都制解明の手掛かりとして
村元 健一
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2017 年 15 巻 p. 0001-0018

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抄録

古代難波は、日本の複都制を考える上で欠くことはできない地域である。複都制を考えるため、そのモデルになったとされる中国唐代の長安と洛陽を概観し、制度の実態に迫ることが本稿の目的である。隋から唐の高宗期にかけて、制度として複都制を取り入れたのは隋の煬帝と唐の高宗のみである。唐の洛陽は隋の煬帝が実質的に都城として築いた都市であり、唐がそのまま継承した。そのため、結果的に京師である長安に匹敵する都城として洛陽が並立することとなった。高宗は武氏立后後、洛陽重視が顕著となる。日本が中国の複都制を知ったのは、この高宗期であり、唐代でも長安・洛陽の力が最も均衡している特異な時期だったことになる。洛陽宮は再興の途中であったが、その規模は太極宮に匹敵するものであり、複都制とは同規模の都城が並び立つ制度と認識されたものと思われる。前期難波宮が飛鳥宮を凌駕し、後の藤原宮に近い規模を持ちえたのは以上の中国の状況によるのである。

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