2018 年 64 巻 1 号 p. 17-30
ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(1696~1763)の治世において、ドレスデン宮廷楽団の団員は、秋にフベルトゥスブルクという名の狩猟用別邸に派遣された。彼らの名簿は、この別邸に関する資料に記録された。1737年や1741年、1742年の名簿は、その題に基づくと、オペラ上演のために選ばれた団員を表わしている。当楽団の楽器編成は、これまで詳細に論じられてこなかった。よって本論文は、この3点の名簿における奏者の数が、オペラ上演のための楽器編成を示しているかを検証する。
 ドレスデン宮廷の年鑑と比較することにより、3点の名簿から奏者を特定できる。別邸に関する種々の資料は、彼らが年鑑において割り当てられた楽器をオペラ上演の際に演奏するよう定められていたことを示している。
ドレスデン宮廷楽団の演奏習慣は、1729年から1741年まで当楽団に所属したヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(1697~1773)によって記された『フルート奏法試論』(1752)に反映されたと考えられており、この著作には合奏団を組むための各楽器の数が提示されている。3点の名簿における奏者の数は、この楽器の数に類似している。従って、これらの名簿に記された奏者全員は、同時にオペラ上演に携わるよう命じられていたと考えられる。
しかし、ヴィオラとオーボエ、ファゴットの奏者が多いため、1741年と1742年の名簿における奏者の総数は、クヴァンツがヴァイオリン10挺と共に示した楽器の総数を若干上回る。これらの年のオペラ上演に用いられたパート譜は、この人数の超過がアリアにおける管弦楽法によって生じたことを示唆している。
以上のことから、1737年と1741年、1742年の名簿における奏者の数は、これらの年のフベルトゥスブルクにおいてオペラを上演するために組まれた楽器編成に極めて近いと考えられる。