2018 年 64 巻 2 号 p. 113-126
本稿は、教会音楽家であり司祭でもあったアルベルト・ゲレオン・シュタインの1864年の教会音楽論を取り上げ、彼が同時代の批評家たちと当時の教会音楽についてどのような理解を共有していたのか、そして教会音楽と礼拝との関係をどのように考えていたのかを考察するものである。
彼は、オペラや器楽など世俗的なものを教会に必要以上に持ち込むことに対して異議を唱えており、ウィーン古典派の三巨匠のミサ曲を教会の礼拝に適わないものと考えていた。これは当時の教会音楽改革運動「セシリア運動」の信条と共通する態度であったが、しかし彼はこの三巨匠のミサ曲を単に教会の礼拝から外れて「堕落」してしまったものと考えていたのではなかった。彼は礼拝に適う「教会音楽」とその他の「宗教音楽」とを区分けし、三巨匠のミサ曲を「教会音楽」から切り離すことによって、それらを(礼拝には適わないが)新しい時代の宗教性を表現する音楽として捉えようとしていた。それは、教会音楽を礼拝から切り離して考えるフランツ・ブレンデルなど「新ドイツ派」に近い批評家たちの論考に彼が同意していたことからもうかがえる。そして、礼拝には適さない三巨匠のミサ曲を正確に評価することで、却って礼拝に適うような「教会音楽」のあるべき姿を模索していたのである。
彼は、単に古い様式に理想を求め、新しい芸術とは距離を置くという一般的なセシリア主義者のイメージからは外れている。「教会音楽」からウィーン古典派の三巨匠のミサ曲を切り離すという彼の方法は、それらの楽曲が持つ世俗的な精神性をただ否定するのではなく、それらと折り合いをつけようとしたものである。彼の論考は、時代に適応しようとする「近代」カトリック知識人の葛藤と前進を示すものとして見ることができる。またそれは、カトリック教会の後進性を表しているとしばしば言われてきたセシリア運動への理解に新しい視点を与えるものでもある。