抄録
本稿の目的は,細川俊夫の作品において「母胎和音」と関連するオクタトニック・スケール(以下オクタトニック)がいかに用いられているかを明らかにすることである。細川自身はオクタトニックを「自分にとっての調性のようなものとしてここ20年ぐらい使っている」と語っているが,これが「母胎和音」という和音と関連した形で特に使用されていると考えられる。「母胎和音」は,細川が雅楽における笙の響きとアントン・ヴェーベルンの無調的な響きの両方から影響を受けて構築した中心和音である。
本稿では,「母胎和音」と関連するオクタトニックが使用され始めた時期や経緯などを解明するために,細川が1990年代に作曲したアンサンブル以上の大編成作品21曲を分析する。併せて,彼が作曲のキャリアを始めた時から拠り所にしていた作曲技法の一つである「自由な12音技法」にも注目する。なぜなら細川は,1990年代中頃以降は12音技法を用いていないと述べているが,その理由が「母胎和音」と関連するオクタトニックを採用したことと関係があると考えられるからである。
この分析を行ったところ,主に2つの傾向が明らかになった。それは,1994年以前の分析対象作品では「母胎和音」と関連するオクタトニックは用いられていないか,用いられていたとしても部分的なものに限られるのに対し,1995年以降の作品にはこれが中心的に用いられていること,1995年以前には「自由な12音技法」が運用されている作品がいくつか散見できたのに対し,1996年以降の作品にはこれがほとんど使用されなくなったこと,という2点である。この分析結果から,細川の大編成作品において,「母胎和音」と関連するオクタトニックは1990年代中頃以降に曲の中心的な音組織として用いられ始め「自由な12音技法」に代わるものになったとみなされる。