2019 年 61 巻 1 号 p. 47-56
歯科処置の中でも歯周治療は治療頻度が高い処置であるが,観血処置であることからも菌血症を引起す可能性がある。本症例は,人工弁置換術の全身既往がある患者に対し,感染性心内膜炎予防に配慮し非外科的に歯周治療を行いSPTに移行した一症例である。患者は67歳男性で,下顎前歯の動揺を主訴に来院した。歯科既往歴が僅少であることで,歯科恐怖症を抱え,脳梗塞の既往から右半身麻痺であった。さらに多数の全身性疾患を有しており,付随し服用薬剤も多種であったことから,内科との連携を密に歯周治療を行うこととした。
患者には,心臓弁置換術の既往があると菌血症によって感染性心内膜炎を併発するリスクが高く,歯周病がその動因になり得ることを説明した。その上で患者自身の口腔環境が,実際に菌血症を引起こしやすい状態であること,またブラッシングの重要性を説明し歯周治療の必要性を訴え歯周治療参加への同意を得た。
結果,主訴である下顎前歯(41歯)は抜歯処置となったものの,歯周基本治療後の再評価時にはPCR値17.2%となった。また下顎前歯部に対し,当初の治療計画では補綴処置を行う予定であったが,歯周組織状態が安定していることからMTMを行い,歯列不正を正すことでブラッシングを行いやすい歯周環境を構築することとした。延いてはPCR値20%以下を維持しSPTに移行した。SPT中もブラッシングに対し高いモチベーションを保持していたため,全身疾患も悪化することなく経過した。
感染性心内膜炎の発症を予防するためにも口腔衛生管理の徹底は不可欠である。
感染性心内膜炎(以下:IE)は,弁膜や心内膜,大血管内膜に細菌集簇を含む疣腫を形成し,菌血症,血管塞栓,心障害など多くの臨床症状を呈する全身性敗血症性疾患である1)。歯科処置に伴う菌血症の発症率は,抜歯でほぼ100%であり,歯石除去でも高い確率でみられる2)。感染性心内膜炎患者の原因菌で口腔由来のものとして口腔レンサ球菌種が多く認められる3,4)。一方,歯周病原因菌がIE患者から分離される報告は少なく5),IEのリスクが高い歯周病患者に対する予防処置に関して統一見解はない。しかし,感染性心内膜炎の発症を未然に防止し,あるいは重篤化を阻止するためには,感染性心内膜炎が身近なものであること,およびその発症に対する注意を,患者自身・医科・歯科に広く暄伝し知悉させることは極めて重要である。
大動脈弁置換術を施術された患者は,感染性心内膜炎を引起こすリスクが高いとの報告がある6,7)。そこで,大動脈弁置換術の既往歴をもつ歯周病患者に対して感染性心内膜炎予防を考慮し,非外科的治療のみで歯周治療を行った一症例を報告する。
患者:初診時年齢67歳 男性
初診:2007年11月22日
主訴:下の前歯がグラグラする
【現病歴】41歯の動揺は数ヶ月前から自覚していた。一週間前から41歯の動揺がさらに大きくなってきたため,不安になり当クリニックを受診。動揺度3度(Millerの分類),歯周ポケットは最深部で8 mmであり,X線写真所見では根尖まで及ぶ歯槽骨吸収を認めた。
【既往歴】●口腔既往歴
48歯は抜歯したとのことだが,時期や抜歯した原因については不明。18歯は2005年(65歳)に自然脱落。ブラッシング指導および歯周治療を受けた経験はなく歯周炎と診断されたことはないとのこと。
●全身既往歴
大動脈弁置換後・僧帽弁交連裂開術後・心房細動・脳梗塞後・高血圧症・高脂血症
1982年(42歳)に心臓弁の異常を指摘され,抗血栓薬を処方された。1992年(52歳)大動脈弁置換術を行い,その直後,脳梗塞を発症し言語障害および,右半身麻痺が後遺症として残った。三年間のリハビリテーションを行うも1994年6月10日に第壱種障害者手帳を交付された。右手の麻痺状態は,右半身の関節機能に軽度の障害また,右手母指および示指に著しい機能障害がある。また喫煙は20歳から一日30本吸っていたが42歳の時に禁煙し現在も継続中である。
●家族歴:特記事項無し
【現症】●全身所見
当クリニック受診時は,高血圧症(収縮期115/拡張期78 mmHg,降圧剤服用時),高脂血症があり図1の薬剤服用中。
●歯列咬合所見
・現在歯17-28,47-38
・下顎前歯部の叢生を認める。
・41歯は挺出しており前方運動時に干渉を認める。
●歯周組織所見
・歯周ポケット:4 mm以上のポケット率は26.1%であり,特に隣接面を中心に認めた。BOPは37.8%であった。
・口腔清掃状態は不良(PCR値100%)であり多量のプラーク付着を認めた。
・全顎的に歯間乳頭部歯肉と辺縁歯肉に発赤・腫脹,多量の縁上・縁下歯石を認める。
●X線写真所見
・全顎的に1/3(~2/3)程度の水平性骨吸収を認めた。
・主訴である41歯は,根尖まで及ぶ歯槽骨吸収を認めた。
●診断:広汎型中程度慢性歯周炎・咬合性外傷
【治療方針】
1.内科への対診
1992年に大動脈弁置換術を行っていることから現状の把握・観血処置による感染性心内膜炎のリスク回避をするために内科医への対診を取り,抜歯および観血処置を行うこととした。
2.歯周基本治療
①患者教育:ブラッシングに対するモチベーションの構築及び,全身疾患と歯周病の関係について理解させる。
②口腔清掃指導:利き手の運動障害に対して歯ブラシだけでなく,清掃補助用具を使用して口腔清掃指導の改善を行う。
③抜歯:内科医への対診。
④スケーリング・ルートプレーニング:
歯肉縁上歯石の除去と,PCR値が20%程度で歯肉縁下歯石の除去を行う。
3.再評価
4.口腔機能回復治療:㊷41㉛ブリッジ
5.再評価
6.メインテナンス

服用薬

初診時
患者背景・教育とDHとしての対応
●利き腕の麻痺(右半身麻痺)
・状況に合わせた清掃用具の選択と方法の指導
●感染性心内膜炎へのリスク回避
・大動脈弁置換術の既往と歯周病の関係の説明
・ブラッシングの重要性の理解と非外科治療の継続
・菌血症予防を考慮した観血処置
●言語障害
・個室対応
●歯科恐怖症
・歯科受診の既往がない(歯周治療は元よりブラッシング指導の経験が無い)
・表情や身体を観察し,声掛けを行う
①Tooth Brushing Instruction(TBI)・歯肉縁上スケーリング
初診時(2007年11月22日)下の前歯がグラグラすることを主訴に来院。41歯は動揺度3度,歯周ポケットは最深部で8 mmであった。同歯はX線写真所見にて,根尖にまでおよぶ歯槽骨吸収を認めたため,抜歯の適応であることを担当医が説明した。また,1992年に大動脈弁置換術を行っていることから,現状の把握をするために内科医への対診を取り,抜歯および観血処置を行うこととした。
さらに,大動脈弁置換術の既往があると菌血症によって感染性心内膜炎を併発するリスクが高く,歯周病がその動因になり得ることを説明した。その上で患者自身の,口腔内環境が,実際に菌血症を引起こしやすい状態であると説明し,歯周治療の必要性を訴え同意を得た。その後,菌血症の話からブラッシングの重要性を理解してもらい,モチベーションの獲得を行った。また,言語障害もあるため,人の目を気にすることや,こちらが重ねて聞返すことにより気分を損ね会話が成立しなくなることを回避するために,個室での対応とした。またブラッシングは1日につき朝1回,5分間程度歯磨剤を用いて行っているようであった。
初診時のPCR値は100%であった。ブラッシングの状態は,歯冠上部は比較的ブラシが当たっておりプラークの付着は少量であった。しかし全顎的に歯頚部および隣接面はプラークが厚く付着し,歯肉縁下歯石が歯周ポケット内に見える状態であった。さらに下顎前歯舌側は多量のプラークと歯肉縁上歯石を認めた。ブラッシング指導初回時の観察では,利き腕の麻痺(右半身麻痺)のため歯ブラシを把持しにくいようであった。そのため,電動歯ブラシを奨めたが,高価であるとのことで受け入れてもらえなかった。そこで掴みやすい太さにするため,手持ちの歯ブラシの把持部にガーゼを巻きつけて使って頂いた(図3)。ブラッシング所要時間にこだわらず,口蓋側,舌側(不得手な部位より順次右上・右下・左上・左下)より行い,磨きやすい頬・唇側は後にした。
なお,患者には歯冠部を中心に磨くよう指導し,極力歯肉からの出血を避けた。また,来院の間隔を週に2,3回に設定し口腔ケアを行った。
PMTCを繰り返し痛みの減少を自覚したことを確認し,隣接面に対して1歯ずつの縦磨き法を指導したところPCR値は50%台に減少した。その頃モチベーションも向上してきたため,歯ブラシの回数を起床後と就寝前の2回へと増やし歯間ブラシを導入した。歯間ブラシは臼歯部に挿入することが困難であったためL字型を選択し,歯間ブラシ(Lion社製DentEX歯間ブラシⓇ:SSS)を操作しやすいよう可能な限り短く把持させ左手を添え指導したところ一度で出来るようになった。当初から舌側歯頚部のブラッシングは苦手ではあったが,これらの指導・処置によりPCR値は徐々に減少した。
また,歯肉縁上スケーリングは随時行った。しかし,人生初めてのスケーリングに恐怖心があったため,超音波スケーラーを用いておおまかに歯肉縁上スケーリングした後,手用スケーラーにて可視できる歯石を丁寧に除去した。当初から舌側歯頚部のブラッシングは苦手な傾向であったが,これらの指導・処置にPCR値は徐々に減少しSRP前にはPCR値が20%程度となった。
2008年2月21日,担当医が41歯の抜歯を施行。処置前投薬として,アモキシシリンカプセル250 mgⓇを8カプセル(2 mg)処置1時間前に服用した。処置後は,セフェム系抗生物質であるフロモックス錠100 mgⓇを1日3回3日分処方した。
②SRPと再SRP
●随時TBI・歯肉縁上スケーリングを施行することにより口腔衛生状態の改善が認められた。その後内科医と対診を取り,露出根面を滑沢にする目的で,出血させないよう配慮し,抗菌薬を投与せずSRPを施行した。
2008年3月10日よりPCR値が20%程度となったため全顎に対してSRPを行った。
SRPの治癒期間中に17-14,21,24-28,34-38,44-47の齲蝕処置を担当医が行った。2008年6月20日にSRP後の再評価検査を行った。再評価検査の結果から,6か所(17歯口蓋側遠心,16歯口蓋側近心,15歯口蓋側近心,28歯頬側遠心,38歯舌側遠心,47歯中央舌側)に4 mmの歯周ポケットが残存した。SRP後の歯肉形態の変化から,PCR値は31%と悪化していたため,再びブラッシング指導を徹底することとした。歯間ブラシ(Lion社製DentEX歯間ブラシⓇ:S)にサイズを上げ,また歯頚部に毛先が当たるように再指導を十分に行った。42歯・31歯は,41歯抜歯後の歯列が磨きにくい状態であったため(図4),歯ブラシの毛先を歯間部に挿入するブラッシングを指導した。これらの指導によりPCR値は再び20%以下となった。また,歯周ポケットが残存している部位に対して再SRPを行った。


●再評価後の治療計画変更点
41欠損部は,ブリッジによる補綴処置ではなく,MTMを行うこととした。
2009年11月30日,再SRP後の再評価検査(PPD平均2.0 mm,PPD 4~6 mm 0%,PPD 7 mm以上0%,BOP率12.6%,PCR値17.2%)を行い歯周組織が安定していることを確認し,42歯・31歯の捻転及び空隙と下顎前歯のレベリングを目的に担当医がMTMを行った。MTM期間中は,ブラケットを装着することによりブラッシングが困難になるため,ブラッシング指導の間隔を短くしPMTCを反復した。2010年7月30日,ブラケットを除去しリンガルリテーナーにて保定しMTMによる動的治療を終了した。
[SPT開始/2010年8月20日~]2010年8月20日,再評価検査(PPD平均2.2 mm,PPD 4~6 mm 0%,PPD 7 mm以上0%,BOP率2.3%,PCR値16.4%)を行った。下顎前歯部舌側および17歯遠心にBOPを認めたが歯周組織は安定していたためSPTへと移行した。
臼歯部舌側のブラッシングが苦手であり,プラーク沈着が残存しやすいことを考慮しSPTの間隔は1か月に1回とした。下顎前歯舌側の清掃性および自浄性向上のために,保定装置をリンガルリテーナーからエナメルボンドシステムに変更した(2012年3月6日)。同部位は,リテーナーの除去後,歯間ブラシ(Lion社製DentEX歯間ブラシⓇ:L)を追加した。
2012年10月に,28歯に重度の象牙質知覚過敏症状が発現し,通法の象牙質知覚過敏処置では改善が得られなかったこと,また最後方臼歯であり清掃性が困難であったことから抜歯処置となった。処置前投薬として,アモキシシリンカプセル250 mgⓇを8カプセル(2 mg)処置1時間前に服用した。処置後は,セフェム系抗生物質であるフロモックス錠100 mgⓇを1日3回3日分処方した。2012年12月,17歯頬側近心に5 mmの歯周ポケットとBOPが出現した。左方側方運動時における平衡側での咬頭干渉が歯周ポケットのリスクファクターであるとの判断で担当医が咬合調整を行った。その結果,口蓋側近心に4 mmの歯周ポケットが残存しているもののBOPは消失した。

SPT移行時
歯周組織検査(PPD平均1.9 mm,PPD 4~6 mm 0.6%,PPD 7 mm以上0%,BOP率0%,PCR値17.9%)
17歯はX線写真にて近心に垂直性骨欠損が存在し歯根膜腔拡大も認めるため,歯周ポケットの再発予防と外傷性咬合に配慮し慎重にSPTを実地する必要がある。また患者は,右利きであり右半身麻痺の既往からブラッシングを行うことは非常に困難な状況であったにも関わらず,数値は変動するもののPCR値は,20%以下を維持している。今後も1ヶ月のSPT間隔でプラークの染出しを行いながら,モチベーションの維持に努めていていく予定である。

最新SPT
歯周治療はスケーリング・ルートプレーニング,もしくは歯周外科で出血を伴う処置が多く,菌血症を引起こすことも少なくない2)。さらに,歯周炎罹患者は全身疾患を有するものも多く,歯周炎と全身疾患との関連も多く報告されている8,9)。
また外科治療によって菌血症を伴うと,大動脈弁置換術を施術された患者は,感染性心内膜炎が発生するリスクが高いとの報告がある6,7)。
本症例は中等度慢性歯周炎(主訴部は重度)と診断された多数の全身性疾患(大動脈弁置換後,僧帽弁交連裂開術後,心房細動,脳梗塞後,高血圧症,高脂血症)を有する患者に非外科的歯周治療を施し著明な効果が認められた一症例である。
歯周基本治療時●歯科恐怖症への対応
患者は,2005年に18歯が自然脱落するも,放置するほどの歯科恐怖症を持っていた。また,多数の全身既往をもつ患者は様々な思いを抱えている。このような患者に,いきなり歯周治療を始めても集中して取り組んでもらえる可能性は低く効果は期待できない。そのためレクリェーションや口腔体操・嚥下体操を取り入れながら患者教育・歯周基本治療を行い,緊張を解いていった。これらの事項により,ラポールの形成は比較的早期に築けたように感じる。
●ブラッシング指導と菌血症を最小限にとどめるための工夫
感染性心内膜炎はブラッシングによる日常的な菌血症の影響が大きいと考えられている。そのため,出血させないことが必須であり,特に歯肉の炎症の強い当初は,歯冠部に比重をおくブラッシング指導を徹底して行った。
右半身麻痺のため,利き手の変更を予定していた。しかし実際に試行してもらうと,普通のハブラシでは細く握りにくく,何より磨いている気になれないとの申し出があった。モチベーションに繋がるため,患者に適した改良ハブラシを使用し,利き手である右手でのブラッシングを行うこととした。同時に来院回数を週に2,3回に設定し歯科衛生士による専門的な口腔ケアを施行した。その後,補助的清掃道具の追加や変更を随時行うことで,炎症の消失・口腔衛生状態の改善が認められた。その結果,患者主体のブラッシングにシフトしていくことができた。また一般的に,麻痺側口腔は食物残渣などで不潔になりやすいことや自浄作用が低いとされている。しかし本症例においては,セルフケアの確立により口腔衛生状態は良好な状態で維持されている。これらの経過の全てが,感染性心内膜炎の発症原因と言われている菌血症を最小限にとどめているように感じた。
口腔機能回復治療時●MTMへの変更と口腔内写真
患者のモチベーションの維持・信頼関係の構築においても口腔内写真は有効なものである。
当初計画していた㊷41㉛ブリッジをMTMへ変更と患者に提案した際,継続した患者教育の効果から,感染性心内膜炎発症リスクが高くなると,気乗りしない様子であった。そのため,時間をかけてこれまでの口腔内写真を時系列ごとに提示し,現在の良好な状態に整えたのは患者自身であると伝えた。
その説明から,患者自身が積極的に歯科受診をしていたことや,内科医を含めた医療従事者と密接に関わり歯周治療に参加していたことを認識した。また全身的なイベントも発生していないことからMTMの提案を患者は快諾された。
SPT時●咬合異常
初診時より脳梗塞の後遺症にて,全身的に運動障害や感覚障害が認められ,口腔内においても,異常な咬合接触,顎口腔系に見られる主要症候がみられた。SPT移行後においても,重度の象牙質知覚過敏症状の発現により抜歯処置や咬頭干渉が原因との判断で咬合調整を施行している。今後も注意深く経過観察を行う。
右半身麻痺によって,セルフケアが非常に困難な患者であるが,感染性心内膜炎の発症を予防するためにも口腔衛生管理の徹底は不可欠である。
(2017年5月13日第60回春季日本歯周病学会学術大会にて,ポスター発表した内容に一部追加・改変して掲載致しました。)
稿を終えるにあたり,終始温かい激励とご指導・御鞭撻いただきました北海道医療大学歯学部口腔機能修復・再建学系歯周歯内治療学分野 古市保志教授,白井要講師 また,この症例に関わって頂けた方々に心より感謝申し上げます。
今回の論文に関連して,開示すべき利益相反状態はありません。