2019 年 15 巻 p. 194-217
本稿は,「福祉元年」政策である老人医療無料化と年金制度改正の政策形成過程の分析を通じ,「高福祉高負担」路線が部分的にしか達成されなかったことを明らかにするものである。「福祉元年」は日本型福祉国家の黎明期として位置づけられ,「福祉元年」に内包される政策は国民一般を支える制度とみなされる一方で,財政収支バランスを毀損する枠組みであると指摘されてきた。本稿は経常収支不均衡問題下の大蔵省に着目することで上述の評価に新たな視点を提供する。ニクソン・ショックによって租税負担率引き上げが棚上げされ,スミソニアン合意による円切り上げにより大蔵省は老人医療無料化を許容した。また,経常収支不均衡問題対策の調整インフレ政策は労使協調を生み,年金水準は引き上げられたものの,大蔵省は国庫負担を回避する制度を導入した。「高福祉」は実現したが,「高負担」は社会保障負担の増徴という形でしか実現しなかったのである。