哲学
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無からの創造
山本 清幸
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1952 年 1952 巻 2 号 p. 1-13

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抄録

「無からの創造(Creatio ex nihilo)」ということは概念的には単に「創造」ということと同義的に、創造が《ex nihilo》であることは自明的でなければならない。創造であるかぎりそれは《creatio absque omni prae ex istente potentia》-すなわち既に前もつて存在しているような、そして創造者の意志によらずに最初から措定されてしまつているような勢位が何一つないところの創造-でなければならない。創造を前提しそれに中心を置いて考えるかぎりこのことについて異論を挑む余地は全くありえない。けれどもこのように創造が無からでなければならない、そうでなくては創造とは言えないということが概念的に少しの疑いもない程自明的であるにしても、それでもつて直ぐ無からいかにして創造が行われるのか、その必然性というものが明らかになるとはいえない。すなわち概念的にいつて創造はなるほど無からでなければならないが、創造を前提しないでその根柢や可能性を問うのであるとすれば、無からいかにして創造がなされうるのか、「創造」の字義通り何らの前提なくしてつくるということの必然性の問題はさほど理解容易であるとはいえない。第一に《nihilum》が、従つてまた《ex nihilo》ということが極めて多義的でそこに多くの問題が伏在しているし、またそれに応じて第二に無から創造する意志というものも決して単一なものとは解されないからである。いかにして創造がなされたかというその必然性を問うのはいわば創造の原因を尋ねることである。従つてこの問いは当然第二の創造する意志に連らなつており、第一のニヒルムの問題もむしろこの創造の意志やその原因の問題に随伴した問題と見ることができる。しかしここでは特に《nihilum》,《ex nihilo》という側面からだけこの問題を取扱つてみようとおもう。
創造の原因についてはプラトン(ピレーボス)に関連して「創造の原因、第四のもの」の題名で『哲学研究』(昭和廿七年十月)に掲載したので参照されたい。

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