本稿は、平和研究と先住民研究の相互目的および意義を確認するために書かれる。そのために、平和研究のルーツを確認し、先住民研究の一端を紹介し、その上で双方にとっていかに建設的な共通の課題を発見できるかを探りたい。さらに読者の一人ひとりが平和研究者としてあるいは日本に居住する市民として、日本の先住民問題において逃れ難く当事者性を有していることを共に確認することを本稿は志向している。
日本における先住民は、多重に不可視化されてきた。本稿では、平和研究の源流のひとつである北海道帝国大学や東京帝国大学における殖民学および植民政策論が先住民の視点から照らし出すと影の側面があることを確認する。先住民を不可視化する他方の構造的暴力は、日本におけるレイシズムや植民地主義/殖民主義に関する認識の不在とコスメティックな文化によってのみアイヌ民族の課題を把握しようとする力学である。またカナダなどの先住民政策および研究の先進地域における脱植民地化/脱殖民化の流れと日本におけるそれが、いかに異なるかについて、先住民研究者による論考を辿る。
戦争や核、紛争といった視点からは死角になる「平和問題」がアイヌ民族を取り巻く先住民問題および植民地主義/殖民主義の問題であった。学会設立50周年という節目を迎え、今後の平和学会における意義について先住民研究の視点から述べたい。