本稿の目的は,昼間保育事業の先駆者・生江孝之の神戸市職員時代に焦点をあてて再評価することである。
まず,神戸市婦人奉公会発足の経緯,児童保管所の運営について要約し,生江は当初,保育事業のために神戸市に採用されたのではなく,救済事業の企画・立案者として採用されたことを明らかにしている。加えて,生江の保育事業構想は,市長と生江の採用交渉を行った留岡幸助によって鼓舞されたことを明らかにしている。すなわち,非行予防は彼の保育事業の主要目的であった。
本稿は,今日的にも非行予防が保育事業の役割の 1 つとして認識できると結論づけている。