建国から20世紀後半まで、アルゼンチンカトリック教会は政府と密接な関係を保持しながら、国家宗教としてアルゼンチン社会において絶大な権力を握っていた。しかし、軍政(1976–83年)による大規模な人権侵害を黙認したことから、教会は国民の信頼を喪失し、民政移管後の市民社会構築プロセスからも取り残された。孤立したカトリック教会が市民社会における新たな役割を担う契機となったのは、2001年経済危機の際に行われた「アルゼンチンの対話」であった。本稿では、カサノヴァの公共宗教論を検討しながら、国家宗教であったアルゼンチンカトリック教会がどのような歴史的経緯によって、市民社会志向に変容したかを考察する。そして、近年カトリック教会が「アルゼンチンの対話」で果たした役割と、カサノヴァの支持する討議モデルを比較することにより、公共宗教としてのアルゼンチンカトリック教会の特異性を明らかにする。