1998 年 4 巻 p. 107-128
新宗教教団の一つである真如苑では、毎年「青年部弁論大会」が開催されている。われわれはこの行事から、「弁士」の語る「弁論」が数ヵ月間に渡る他者との相互行為の中で作り上げられていく、という過程を観察することができる。それは、本来ならば語り手のみが語りうるはずの弁論が、他者の解釈を大幅に受入れることにより構成されていくにもかかわらず、弁士にとって真正で絶対的な自己として最終的に語られるようになっていく、という一見パラドキシカルな過程である。確かにこうした過程は、一見奇妙に思えるのだが、むしろそうした他者との相互行為があるからこそ自己は構成/維持されるのだ、というのが本論の出発点となる。それを踏まえた上で、日常的に営まれている信者間の相互行為が、自己の構成をめぐってどういったダイナミズムを示すのかを、この事例を通し具体的に記述し考察していく。