2008 年 81 巻 4 号 p. 828-848
日本の宗教学の中で注目されてきた修行(狭義の修行)の特性へ特にその身体性は、現代タイ上座仏教の主流派の修行に当てはめづらい。むしろ主流派とは異なった独自の活動を展開するタンマガーイ寺の実践に、この特性が当てはまりやすい。本稿では、これら二つの事象の異同を修行論に依拠して論じる。そのためにまず宗教学の修行論において、身体性へ主体的な精神変容、達人的実践が、修行(狭義の修行)の特性として注目されてきたことを指摘する。ついで、これらの特性が現代タイ上座仏教の主流派の修行に当てはまりづらい理由を示す。また逆に非主流のタンマガーイ寺の実践においては、修行の身体性の論点が、当てはまりやすいことを示す。さらにこの事例をもとに、修行の身体性と空間形成というテーマを論じている。そして最後に、上座仏教の主流派の実践をも組み込んだ修行を論じるために、広義の修行に着目する。そして広義の修行の特質を明らかにするために、儀礼と修行の対比を踏まえて、修行の時間論を展開している。