抄録
本稿では、「フィランスロピア」を手がかりに、最初の四世紀に見られるキリスト教批判について考察する。キリスト教を「人類憎悪」(ミサンスロピア)としたローマ社会の批判、中傷、迫害のなかで二世紀の弁証家ユスティノスはフィランスロピアの神ならびにその模倣としてキリスト者の道徳性を弁明する。また神の受肉を善から悪への変化と捉えて批判するケルソスに対して、三世紀のオリゲネスは神の善性をフィランスロピアと捉え、神は神(=フィランスロピア)であるから受肉したと反論する。さらに四世紀ユリアヌス帝は、キリスト教の興隆は貧者への愛(フィロプトキア=フィンラスロピア)の実践の故であるとキリスト教批判を展開した。そこでこのフィロプトキアについて大バシレイオスが建てた救貧施設に関するナジアンゾスのグレゴリオスの著作をもとに考察し、救貧の実践が「キリストの模倣」と捉えられることを確認する。キリスト教批判を通して、神のフィランスロピアとその模倣としてのキリスト者のフィランスロピアというものが迫害、受肉、救貧において展開し、これらが神学的にも実践的にもキリスト教形成の一翼を担っていたのである。