宗教研究
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鈴木大拙の霊性的自覚の一考察(<特集>スピリチュアリティ)
築山 修道
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2010 年 84 巻 2 号 p. 379-404

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抄録

鈴木大拙は宗教の等値語として「霊性」という言葉を使用し、それを宗教意識ないし宗教経験自体とも言う。しかし、彼が意図したことを的確に表現しうる言表は「霊性的自覚」である。それは、霊性が自覚で、自覚が霊性である如き自覚のはたらきが透徹された絶対一的自覚=絶対的自覚で、無分別智である。これに対して、知性は二元性を本性とする分別識である。それゆえ、知性が自らに死するとき、霊性的自覚がはたらき出る。むしろ、両者は〓啄同時であると言うべきであろう。その時、知性はまた死して新たに生まれる。そこに「無分別の分別」が現成し、自己と自己の生きる世界の存在意味・価値などの根本的翻転が生起する。そこからまた本当の意味の宗教生活が始まる。霊性的自覚それ自体は普遍性をもつものであるが、いつも個人を通してのみ発現する。そしてそれはまた特殊的でもありうる。その特殊形態が「日本的霊性的自覚」である。以上のような考究を通して、最後に、大拙の「霊性的自覚」と「現在のスピリチュアリティ問題」とが如何ような関わりをもちうるかを少しく考えてみた。

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© 2010 日本宗教学会
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