本稿では、ギリシャの「ジプシー」の事例より、流動性が高い環境下にある共同体が起源を共有することの難しさと、そこで立ち現れる帰属意識のあり方について検討した。「ジプシー」の起源は、常に非「ジプシー」から与えられるカテゴリーの一部であったため、それを受け入れることは、移動の歴史を異にする多様な内部集団で構成されている彼らの帰属意識と齟齬をきたしてきた。近年では、「ジプシー」のなかでも多数派であるロマが話すロマニ語から、ロマのインド起源説が定着している。本稿では、外部から導入された起源をめぐって、異なる「ジプシー」集団に属する人々の語りに着目しながら、「ジプシー」共同体の境界が更新され続けている動態を明らかにする。とりわけ、時空を超えて共有されるものとして語られる身体感覚のイメージの重要性と、「何であれかまわない」と語られる呼称や起源の可能性について指摘した。