2019 年 58 巻 2 号 p. 103-109
我が国では,明治時代に入り殖産興業政策とともに各地で鉱業も盛んになりその産出量が急増した.当初は原因や治療のなかった病的骨折の多発によるイタイイタイ病(イ病)もこの時代に発生した.鉱業による煙害・水害へ対策が功を奏さないために農林漁業や人体被害は量質の両面から著しくなった.鉱毒による煙害・水害への対策が整うまでに数十年を要した.それには科学・技術的な進歩も大きく貢献した.これに比べて法的整備など行政面での対策ははかどらなかったが,昭和43(1968)年6 月のイ病鉱害裁判での被害者団体の勝訴はその促進に大きく作用した. 本報では,我が国の主要な鉱毒による被害そしてその対策の歴史も振り返りながら,イ病のそれを主軸にそれぞれについて今日的意義を含めて論じた.