安全神話は,原子力安全への国民の信頼をつなぎとめる努力だった.福島原子力事故が起き,国民の信頼を再構築する道を探ると,本報の新たな観点から見えてくるのは,規制行政のあり方の学問に空白があること,合理的なルールの不明が規制の迷走となって,当事者の注意を妨げたこと,その上,技術者の努力が安全確保のとりで(砦)となるところ,技術者と経営層の関係においてそれが機能せず,津波による電源喪失により原子炉の制御不能となり事故は起きた.対策の一方は,規制行政に関する学問が,国民の理解と支援を得て前進すること,他方は,信頼の担い手は,規制側と被規制側の双方であり,経営者と技術者の間の相反問題の解決手続きの定型の確立とともに,経営者と技術者が「活性化されたモラルの意識」を共有し,共同のコミットメントがなされるようになるとよい.