2014 年 56 巻 5 号 p. 141-151
背景:健康問題や健康リスクを抱える人々を対象にした,数ヶ月から1年程度の期間継続する教育プログラムの教育効果については多くの報告があるが,対象を絞らず個人属性が様々である製造業従業員を対象に行う集団健康教育の教育効果についての報告はあまりない.目的:職域におけるポピュレーションアプローチとしての集団健康教育の教育効果を明らかにし,製造業従業員が自ら健康を管理・改善するための行動変容を支援する教育方法について検討すること.方法:定期健康診断受診時に「歯周病」をテーマに1時間の集団健康教育を1回実施し,歯周病の知識,歯周病予防のための口腔ケア方法,生活習慣改善の必要性を教育した.289名(平均年齢42.1±11.3歳,男性175名,女性114名)を対象に自記式質問紙調査を行い,教育による知識習得,歯科衛生行動と生活習慣の変化,歯周症状の変化をマクネマー検定で比較した.知識習得と歯科衛生行動,および行動変容と歯周症状の関連性についてカイ二乗検定で比較した.個人属性による知識習得と行動変容の違いをフィッシャーの正確確率検定で比較した.健康教育の満足度とそれに影響する要因を重回帰分析により検討した.結果:教育後,歯周病の知識に関する設問のほとんどで理解度の上昇が認められ教育1ヶ月後においても知識が定着していた.一部の設問では教育直後に比べ,1ヶ月後は正答率の低下を認めた.歯科衛生行動では教育1ヶ月後に望ましい行動変容が認められたが,生活習慣は変化が認められなかった.知識の習得と行動変容には関連性は認められなかったが,行動変容と症状の変化には関連性が認められた.個人属性による知識習得,行動変容への一貫した相違は認められなかった.受講者の集団教育の満足度に最も影響するのは教育テーマであった.結論:我々が行った集団健康教育は受講者の歯周病に関する知識習得に有用であった.行動変容が得られた場合には,歯周病症状の改善が認められるものの,一方では知識の習得と行動変容に関連性がなかったことから,行動を妨げる要因の検討と行動変容を促すため環境整備を含めた支援が必要であることが示唆された.適切な教育テーマの選択は集団健康教育の評価に影響し,教育効果を得るために重要だと考えられる.知識の確実な定着,歯科衛生行動の習慣化そして生活習慣の改善のために,継続教育の必要性が示唆された.
当健康管理センターは静岡県の楽器製造会社の本社敷地に接して所在し,本社とその周辺工場,関連会社に勤務する従業員を対象に定期健康診断をはじめ労働安全衛生法に依拠した産業衛生活動を行っている.
2003年から定期健康診断の待ち時間を利用して従業員に対し1時間の集団健康教育を行っており,2012年は歯周病をテーマに教育を実施した.職域においては一般歯科健康管理や歯科健康増進は労働安全衛生法の範疇にはないため,通常は口腔保健活動を積極的に実施することは少ないと考えられる.しかしながら当センターにおいてはそのようなテーマであっても,産業保健の対象となる成人期において健康上重要と考えられるものについては集団教育を実施している.
集団健康教育は全従業員を対象として毎年1つのテーマで年間を通して行っており,社内におけるヘルスプロモーションの場としても活用している.全従業員に同じ内容の教育を行うことにより職場の健康行動規範を作り上げることを狙いとしている.全従業員を対象とすることから教育対象者の属性は様々であるため,教育テーマの選択や教育内容は年代・性別などの個人属性の違いによらず,多くの受講者にとって有益な教育となるように努めている.
人が健康に関する行動を変容し,それを維持することに関してはいくつかの行動科学理論があり,理論やモデルの変遷とともに健康教育の有り方は知識の普及から学習援助型へと推移している1, 2).そして専門職の介入は,個人や集団が自らの健康の潜在能力を十分に発揮できるような能力の付与(enabling)や自分たちの生活への統御を獲得するエンパワーメント(empowerment)を促進するような関わりであることが必要だと言われている3).当センターの集団教育においても行動科学の視点から単なる知識の普及にとどまらず,行動変容を促すために問題意識の向上を促すような働きかけや,具体的な技術指導を行っている.
ただし我々の教育は定期健康診断の合間に行うため,マンパワー等の事情により講義形式をとることが多い.一方交通的な講義形式の教育は同じ話を聞いても,それから何を受け取るかは人によって多様だと言われている4)が教育が1回で終了し,教育内容の定着をはかるフォローアップの機会もないため,教育後の対象者の理解度や行動変容の有無,および属性によるそれらの違いについては評価ができていない.
職域の健康教育において,学習援助型の教育は多く実施されている.健康問題や健康リスクを抱える人々を対象に数ヶ月から1年程度の期間継続する教育プログラムが数多く実践され,その効果については多くの報告がある5,6,7).しかし,対象を絞らず個人属性が様々である製造業従業員を対象に行う集団健康教育の教育効果についての報告はない.
今回の研究の目的は,職域におけるポピュレーションアプローチとしての集団健康教育の教育効果を明らかにし,製造業従業員が自ら健康を管理・改善するための行動変容を支援する教育の方法について検討することである.
平成24年11月1日から12月31日に当センターで定期健康診断を受診し,1時間の集団健康教育を受講した従業員356名のうち,今回の調査に承諾が得られた345名を対象とした.教育実施直前,直後と1ヶ月後に記名自記式質問紙による調査を行った.1ヶ月後の質問紙の回収数は298部(回収率86.4%)であった.解析対象は質問の全てに回答が得られた289名(男性175名,女性114名,平均年齢42.1±11.3歳(19歳~71歳),有効回答率83.8%)とした.
2. 調査項目調査項目は個人属性(性別,年代および職系),歯周病に関する知識(5項目),歯科衛生行動(4項目),生活習慣(3項目),歯周症状(2項目),集団教育の評価に関する項目(7項目)の計21項目とした(Table 1).個人属性については,性(男性,女性),年代(40歳未満,40歳以上),職系(E職系(Expert);主として生産,生産支援,販売サービス,事務作業に従事,S職系(Specialist);主として生産技術,生産管理,営業マーケティング,研究商品開発に従事,L職系(Leading Professional)・管理職;主として生産技術,生産管理,営業マーケティング,研究商品開発に従事する職長,工長,課長代理,課長,部長など)について調査した.歯周病に関する知識項目は教育直前,直後および1ヶ月後の3回,歯科衛生行動,生活習慣および歯周症状の各項目は教育直前と1ヶ月後の2回,集団健康教育の評価に関する項目は教育直後に1回,回答を求めた.
個人属性 | 性別(男性,女性) |
年代(20歳未満,20歳代,30歳代,40歳代,50歳代,60歳以上) | |
職系(L職系,S職系,E職系,その他) | |
歯周病に関する知識 | 歯周病は生活習慣病の一つである(そう思う,ややそう思う,あまりそう思わない,そう思わない) |
虫歯と歯周病は感染症である(そう思う,ややそう思う,あまりそう思わない,そう思わない) | |
喫煙は歯周病と関係している(そう思う,ややそう思う,あまりそう思わない,そう思わない) | |
歯を失う主な原因は加齢によるものだ(そう思う,ややそう思う,あまりそう思わない,そう思わない) | |
歯周病はセルフケア(歯磨き)で十分防ぐことができる(そう思う,ややそう思う,あまりそう思わない,そう思わない) | |
歯科衛生行動 | デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている(はい,いいえ) |
定期的に健診や予防のために歯科医院を受診している(はい,いいえ) | |
鏡を使って歯や歯肉を注意して見ている(はい,いいえ) | |
歯の隅々まで丁寧に磨いている(はい,いいえ) | |
生活習慣 | たばこを吸っている(はい,いいえ) |
間食をする(はい,いいえ) | |
飲酒の習慣について(飲まない,時々飲む,毎日飲む) | |
歯周症状 | 歯磨きの時に,歯肉から血が出ることがある(はい,いいえ) |
歯肉が腫れることがある(はい,いいえ) | |
集団教育の評価 | 集団教育の総合評価(素晴らしい,期待以上,期待以下,悪い) |
今回の集団教育テーマは有用でしたか(とても役立つ,まあ役立つ,普通,あまり役に立たない,全く役に立たない) | |
集団教育の講師の話し方はいかがでしたか(とてもわかりやすい,わかりやすい,普通,わかりにくい,とてもわかりにくい) | |
集団教育で使ったスライド(動画も含む)はいかがでしたか(とてもわかりやすい,わかりやすい,普通,わかりにくい,とてもわかりにくい) | |
歯間清掃補助具の配布についてどう思いますか(とても良い,良い,どちらでもない,悪い,とても悪い) | |
体験学習をすることはいかがですか(必要,どちらかと言えば必要,どちらでもない,どちらかと言えば不要,不要) | |
集団教育を健診の待ち時間に行うことはいかがですか(とても良い,良い,どちらでもない,悪い,とても悪い) |
集団健康教育を受けた従業員の教育直前,直後および1ヶ月後の知識の理解度,教育直前および1ヶ月後の行動と歯周症状を比較した.教育後の知識習得の有無による歯科衛生行動の差,行動変容の有無による歯周症状の差を検討した.ついで,個人属性による理解度と行動変容の差を検討した.また集団教育の満足度とそれに影響を及ぼす要因についても検討を行った.
3. 分析方法集団健康教育直前,直後および1ヶ月後の比較は,歯周病に関する知識(4段階回答を正答群と誤答群の2群に分類),歯科衛生行動,生活習慣および歯周症状についてMcNemar検定を実施した.知識習得(教育前に正しい知識と望ましい歯科衛生行動がなかった者を1ヶ月後の回答により知識習得群と不変群の2群に分類)と歯科衛生行動,行動変容(教育前に望ましい行動がなかった者を1ヶ月後の回答により行動変容群と不変群の2群に分類)と歯周症状についてカイ二乗検定を用いて比較した.個人属性と歯周病に関する知識(4段階回答を正答群と誤答群の2群に分類),歯科衛生行動と生活習慣(もともと望ましい行動・習慣がなかった者を1ヶ月後の回答により行動変容群・不変群の2群に分類)についてはFisherの正確確率検定を行った.集団健康教育の満足度評価は重回帰分析で検定した.有意水準は5%とした.統計解析はEZRを使用した8).
歯周病に関する知識についての設問5項目のうち,「歯周病は生活習慣病の一つである」と「歯を失う主な原因は加齢によるものではない」の2項目の設問については正しい理解が得られ,1ヶ月後にも定着していた.「虫歯や歯周病は感染症である」と「喫煙は歯周病と関係している」の2項目の設問については教育直後には理解が得られたが,1ヶ月後は理解度が低下した(Table 2).「歯周病はセルフケアでは十分防ぐことができない」についての項目は正しい理解は得られなかった(Table 3).「歯を失う主な原因は加齢によるものではない」の設問項目では教育直後と1ヶ月後で,直前よりも有意に正答率は改善したが,49.5%~59.8%と他の設問に比べ低い正答率であった.
集団教育後の行動変容は,歯科衛生行動についての4項目の設問のうち,「デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている」,「定期的に(年1回程度)健診や予防のために歯科医院を受診している」,「鏡を使って歯や歯肉を注意して見ている」および「歯の隅々まで丁寧に磨いている」の全ての項目で期待された行動変容が認められた(Table 2).生活習慣に関する3項目の設問について行動変容は認められなかった(Table 3).
歯周症状2項目については,設問のうち「歯磨きの時に,歯肉から血が出ることがある」は改善を認めた(Table 2).また「歯肉が腫れることがある(腫れ)」については,有意差は認められないものの改善傾向であった(Table 3).
2. 教育後の知識習得による歯科衛生行動の状況歯周病の知識項目5項目のうち,「歯周病は生活習慣病の1つである」についての知識習得群で「定期的に(年1回程度)健診や予防のために歯科医院を受診している」の行動変容した者の割合が有意に少なくなっていた.「喫煙は歯周病と関係している」についての知識習得群においては「デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている」の行動変容した者の割合が有意に少なくなっていた.その他の項目で知識を新たに習得したことによる行動変容の有無に有意な差は認められなかった(Table 4).
歯周病についての知識質問項目 | 歯周病についての知識の習得の有無 | 歯科衛生行動についての質問項目 | |||||||||||
デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている | 定期的に健診や予防のために歯科医院を受診している | 鏡を使って歯や歯肉を注意して見ている | 歯の隅々まで丁寧に磨いている | ||||||||||
行動変容あり | 行動変容なし | p値 | 行動変容あり | 行動変容なし | p値 | 行動変容あり | 行動変容なし | p値 | 行動変容あり | 行動変容なし | p値 | ||
歯周病は生活習慣病の1つである | 知識習得あり | 5 | 18 | N/A | 0 | 20 | 0.048 | 9 | 13 | N/A | 4 | 5 | N/A |
知識習得なし | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
虫歯と歯周病は感染症である | 知識習得あり | 9 | 36 | 0.567 | 6 | 39 | 0.770 | 20 | 25 | 0.882 | 9 | 7 | 0.854 |
知識習得なし | 2 | 13 | 2 | 10 | 7 | 8 | 6 | 4 | |||||
喫煙は歯周病と関係している | 知識習得あり | 8 | 36 | 0.003 | 2 | 44 | 0.228 | 16 | 31 | 0.259 | 14 | 14 | 1.000 |
知識習得なし | 5 | 2 | 1 | 5 | 2 | 1 | 1 | 1 | |||||
歯を失う主な原因は加齢によるものではない | 知識習得あり | 31 | 13 | 0.388 | 7 | 34 | 0.385 | 18 | 22 | 0.853 | 8 | 13 | 0.235 |
知識習得なし | 46 | 13 | 6 | 49 | 25 | 33 | 15 | 12 | |||||
歯周病はセルフケア(歯磨き)で十分防ぐことができる | 知識習得あり | 5 | 21 | 0.467 | 6 | 27 | 0.097 | 14 | 13 | 0.496 | 6 | 7 | 0.558 |
知識習得なし | 31 | 88 | 9 | 102 | 49 | 61 | 32 | 26 |
歯科衛生行動4項目のうち,「デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている」についての行動変容群では教育1ヶ月後の歯肉出血と腫れの自覚者の割合が有意に多くなっていた.「定期的に(年1回程度)健診や予防のために歯科医院を受診している」についての行動変容群では腫れ自覚者の割合が有意に多くなっていた.「歯の隅々まで丁寧に磨いている」についての行動変容群では出血と腫れの自覚者の割合が両方とも有意に少なくなっていた.「鏡を使って歯や歯肉を注意して見ている」の行動変容群には自覚症状に有意な差が認められなかった(Table 5).
歯科衛生行動 | 行動変容が生じたか否か | 歯磨きの時に,歯肉から血が出ることがある人 | p値 | 歯肉が腫れることがある人 | p値 | |||
人数(人) | 割合(%) | 人数(人) | 割合(%) | |||||
デンタルフロスや歯間ブラシを使って歯と歯の間隙をきれいにしている | 行動変容あり | 42 | 22 | 52.4% | 0.028 | 16 | 38.1% | 0.049 |
行動変容なし | 148 | 50 | 33.8% | 34 | 23.0% | |||
定期的に健診や予防のために歯科医院を受診している | 行動変容あり | 22 | 9 | 40.9% | 0.889 | 10 | 45.5% | 0.047 |
行動変容なし | 155 | 61 | 39.4% | 39 | 25.2% | |||
歯の隅々まで丁寧に磨いている | 行動変容あり | 55 | 15 | 27.3% | 0.019 | 12 | 21.8% | 0.034 |
行動変容なし | 46 | 23 | 50.0% | 19 | 41.3% | |||
鏡を使って歯や歯肉を注意して見ている | 行動変容あり | 78 | 27 | 34.6% | 0.840 | 21 | 26.9% | 0.776 |
行動変容なし | 97 | 35 | 36.1% | 28 | 28.9% |
個人属性が各設問項目の回答に及ぼす影響についての結果をTable 6に示す.性に関しては,教育直前の生活習慣病項目の設問で女性において有意に正答率が高値であった.職系については,教育直前のセルフケアの項目で有意差が認められた.その他の項目では性別・年代・職系での回答に差は認められなかった.
個人属性 | 歯周病についての知識質問項目の正答率 | ||||||
歯周病は生活習慣病の一つである | 虫歯と歯周病は感染症である | 喫煙は歯周病関係している | 歯を失う主な原因は加齢によるものだ | 歯周病はセルフケア(歯磨き)で十分防ぐことができる | |||
性別 | 男性 | 教育前 | 86.9% | 66.9% | 70.3% | 50.9% | 22.3% |
教育直後 | 98.9% | 90.3% | 96.6% | 60.9% | 26.9% | ||
教育1ヶ月後 | 99.4% | 83.4% | 94.3% | 63.4% | 25.1% | ||
女性 | 教育前 | 95.6%* | 71.9% | 80.7% | 47.4% | 20.2% | |
教育直後 | 99.1% | 94.7% | 100.0% | 51.8% | 23.7% | ||
教育1ヶ月後 | 100.0% | 90.4% | 93.9% | 54.4% | 21.9% | ||
年齢 | 40歳未満 | 教育前 | 90.1% | 71.0% | 74.0% | 53.4% | 22.1% |
教育直後 | 98.5% | 93.1% | 97.7% | 56.5% | 26.7% | ||
教育1ヶ月後 | 100.0% | 87.0% | 93.9% | 59.5% | 26.7% | ||
40歳以上 | 教育前 | 90.5% | 67.1% | 74.7% | 46.2% | 20.9% | |
教育直後 | 99.4% | 91.1% | 98.1% | 57.6% | 24.7% | ||
教育1ヶ月後 | 99.4% | 85.4% | 94.3% | 60.1% | 21.5% | ||
職系 | L職系 | 教育前 | 93.2% | 64.4% | 83.1% | 54.2% | 20.3% |
教育直後 | 100.0% | 91.5% | 100.0% | 69.4% | 32.2% | ||
教育1ヶ月後 | 100.0% | 83.1% | 96.6% | 64.4% | 20.3% | ||
S職系 | 教育前 | 91.1% | 76.8% | 67.9% | 46.4% | 12.5% | |
教育直後 | 100.0% | 91.1% | 98.2% | 58.9% | 26.8% | ||
教育1ヶ月後 | 100.0% | 85.7% | 94.4% | 64.3% | 26.8% | ||
E職系 | 教育前 | 85.9% | 67.9% | 74.4% | 55.1% | 30.8%†§ | |
教育直後 | 98.7% | 94.5% | 97.4% | 50.0% | 30.8% | ||
教育1ヶ月後 | 100.0% | 91.0% | 94.9% | 56.4% | 28.2% |
* p<0.05 vs. 男性・教育前,†p<0.05 vs. L職系・教育前,§p<0.05 vs. S職系・教育前.
属性別に行動変容の発生について比較すると,歯科衛生行動についての設問項目のうち歯間清掃は女性,歯科健診では40歳以上,鏡チェックでは女性で行動変容を生じた割合が有意に多かった.また生活習慣について設問項目では間食で男性およびL職系で望ましい行動変容を生じた割合が有意に多かった.その他の設問項目と各属性間では有意な差は認められなかった(Table 7).
6. 教育の満足度と優先改善課題総合評価は5段階評価で平均3.76点,全ての評価指標項目で4点以上であった.重回帰分析を用いて各指標項目の総合評価に対する影響度を検討すると,総合評価への影響度は「今回の集団教育のテーマはあなたにとって有用でしたか(テーマ)」が(β = 0.46)ともっとも大きく,続いて「今回の集団教育で使ったスライド(動画を含む)はいかがでしたか(スライド)」(β = 0.14),「今回の集団教育の講師の話し方はいかがでしたか(講師)」(β = 0.12),「歯間清掃補助具の配布についてどう思いますか(配布)」(β = 0.09),「集団教育中に体験学習をすることはいかがですか(体験学習)」(β = 0.05),「集団教育を健康診断の待ち時間に行うことについてどう思いますか(待ち時間)」(β = 0.001)の順で総合評価に影響を与えていた(Table 8).
従属変数 | 独立変数 | β | p値 |
総合評価 | 今回の集団教育テーマは有用でしたか | 0.46 | <0.001 |
集団教育の講師の話し方はいかがでしたか | 0.12 | 0.088 | |
集団教育で使ったスライド(動画も含む)はいかがでしたか | 0.14 | 0.051 | |
歯間清掃補助具の配布についてどう思いますか | 0.09 | 0.115 | |
体験学習をすることはいかがですか | 0.05 | 0.239 | |
集団教育を健診の待ち時間に行うことはいかがですか | 0.001 | 0.981 |
R=0.59,R2=0.35,調整済み,R2=0.34.
定期健康診断受診時に集団健康教育を受けた製造業従業員298名を対象に,集団健康教育による知識の習得,行動変容,教育の満足度について調査した.集団健康教育実施直前と比較して直後では歯周病に関連する知識は向上したが,1ヶ月後には若干の理解度低下が認められた.歯科衛生行動での行動変容が認められ,その結果歯周症状に変化が認められた.しかしながら,全体として新たな知識の習得と行動変容の有無の間には関連が認められず,むしろ一部の知識の習得は行動変容に対して負の影響を及ぼしていた.個人属性ごとに比較した場合には一部の設問で属性ごとに差が認められたが,特徴的な傾向は認めなかった.集団教育の満足度は総じて高かった.
歯周病に関する知識について,理解度が低かった加齢とセルフケアについての項目は,集団教育において,誤った認識を正しい知識に修正するような説明をしていたために誤解を招いた可能性が考えられる.また教育後,時間が経過することでさらに理解度が低下する可能性も考えられ,今後はより長期的な理解度の定着についての追跡が必要である.また毎年の集団教育において,前年の内容の確認の機会を設けることや,関連性のあるテーマで毎年の教育を実施するなど知識の定着を促す工夫は必要と思われる.
歯科衛生行動は全ての項目で行動変容が認められた.1回の教育で歯科衛生行動については動機付けができていたと考える.松本は7つの健康行動理論を組み合わせて,「行動することが本当に良いと思う」,「行動する自信がある」,「健康面でこのままではまずいと思う」,「行動の妨げが少ない」,「ストレスにうまく対処できる」,「他者からのサポートがある」,「健康は自分の努力で決まると思う」の各項目が十分に満たされるほど,人は健康行動を行う可能性が高くなると述べている9).今回の教育では,指導媒体を作成する際に行動変容につながる動機付けができることを期待して①一般の人に理解しやすい表現を使い,絵や実際の写真をとりいれる,②教育時間内に自分の歯と歯肉を自分の目で確認する時間を作り健康な状態と比較させる,③歯の隙間の模型とサイズの異なる3本の歯間ブラシのサンプルを回覧する,④デンタルフロスと歯間ブラシの手技を動画で見せる,⑤すでに歯間清掃具を使っている人に挙手をしてもらう場面を作る,⑦歯間ブラシとデンタルフロスを1つずつ配布し,一度試してみることを勧める,⑧ 客観的なデータとして他の研究データをグラフで示す,⑨行政の歯科健診受診費補助施策の紹介をするというような工夫をした.これらの工夫が,松本の提唱する行動理論に合致しており,歯科衛生行動の行動変容につながったと考えられる.
新たな知識習得と歯科衛生行動における行動変容の有無を検討すると,20項目中2項目のみ有意差が認められた.有意差が認められた2項目ではむしろ知識習得群において行動変容を認めた者の割合が少ないという結果となった.今回の調査では教育前から知識があった者の割合が高いために検討の対象となる人数が少なく,新たな知識習得と歯科衛生行動における行動変容の有無の関連を検討するには統計学的パワーが十分ではないが,川田が述べるように10)知識は保健行動の変容のための必要条件ではあるが,決して行動変容の十分条件ではなさそうだということに通ずる結果であった.
生活習慣についての項目では教育前後における行動変容が生じなかった.RosenstockやBeckerらのヘルスビリーフモデル11, 12)や宗像の保健行動のシーソーモデル13)で考えると,歯周病は生活習慣病であるという知識の伝達だけでは「健康面でこのままではまずいと思う」という「危機感」を対象者が感じなかったか,生活習慣を改善することにより期待される歯周症状の改善というメリットが,行動を変容させることに伴うデメリットを上回ることがなかったと考えられる.佐々木らは歯科衛生行動に比べて,喫煙・飲酒・間食といった生活習慣の行動変容は生じにくいと報告しており14),岩本らは行動変容ステージの移行に時間がかかるため短期間の調査では行動変容が生じなかった15)と報告している.今回の我々の結果も介入1ヶ月後という短期間における評価であることが今回の結果に影響をおよぼしている可能性は考慮すべきである.
我々の行う集団教育のテーマは毎年異なったものであるが,生活習慣病の予防の観点から喫煙・飲酒・間食についての教育を繰り返し行ってきた.また健康診断後に実施する保健指導においても禁煙・摂酒・間食を減らすことについては従業員に積極的に働きかけている.継続的な指導の効果もあり定期健康診断における問診をもとにした喫煙率,毎日飲酒者率は年々低下している.今回の研究で検討した口腔衛生の教育では,教育後1ヶ月という短い期間においては新たな行動変容は認められなかったが,さらなる健康行動の促進のために何が不足しているのか検討しながら教育を続け,行動変容についても長期的に調査することでより効果的な教育の方法についての示唆が得られると考える.
歯周症状は,出血と腫れの2項目のうち腫れで教育1ヶ月後に改善が見られていた.適切なプラークコントロールを行うことにより歯周症状は通常1-2週間という比較的早期に改善が認められると言われており16),我々の結果は行動変容後早期においても歯磨きや歯間清掃の技術が向上し,歯周症状の改善に至ったことを示唆している.一方,行動変容による歯周症状の違いを検討すると,新たに歯間清掃補助具を使うようになった行動変容群において,歯肉の出血と腫れを自覚する人の割合は高くなるという結果となった.これは歯間清掃補助具を適切に使うことができなかったために歯間清掃により出血した可能性と,歯間清掃補助具を使用し始めたことによって以前よりも歯肉の様子に関心をもち症状を自覚するようになった可能性の2つが考えられる.石川らは歯間ブラシの使用をただ促すだけでは不十分で専門家による指導が大切であると述べており17),地域住民を対象とした刷掃指導は3回程度継続して行うことにより歯周症状の改善に効果的であったと報告している18).岩本らも保健指導を受けることで具体的な歯間清掃の方法や自分の歯科衛生行動を確認でき,好ましい方向への行動変容が起こりやすくなると述べている15).適切な手技の習得においては職場での講義形式の集団指導だけでは不十分であり,歯科医院での個別指導につなげる働きかけが必要だと考える.
教育後,歯科医院を受診するよう行動変容した対象者に歯肉の腫れの自覚者が増えていたことに関しては,教育により歯肉の腫れに気付き歯科医院を受診した可能性が考えられる.今回は教育後1ヶ月の時点における調査のため,行動や症状の変化にいくつか今回の調査では明らかにできない関連要素があると予想される.より正確に教育による行動と症状の変化の関連を判断するためにはさらに長期的な調査が必要だと考える.
個別属性による正答率や行動変容においては一貫した相違は認められなかった.社会経済的地位をはじめとする社会的要因が健康状態に関係することは知られており19, 20),口腔保健に関するところでも年齢や職種,性別により歯科衛生行動は異なり21,22,23),職種により歯周組織の健康状態が異なるとの報告がある24).我々は当初,属性の違いにより正答率や行動変容に差がでることを仮説として考えたが,予想に反して差異は認められなかった.属性による差異が認められなかった要因に,今回の教育の対象集団が同一企業グループ内で労働に従事しているため社会的背景がある程度似通っていることが影響した可能性がある.
さらに,今回の調査対象が労働に従事することができている製造業従業員であり,企業で労働に従事するためにもともとの健康レベルや健康に関する意識レベルが全体的に高い集団である可能性も考えられる.地域住民を対象とした先行研究では歯周症状を有する者の割合は,歯肉の出血・腫れの症状はそれぞれ41.8–65.0%・18.4–38.5%と報告されており25),我々の対象者では歯周症状を有する者の割合は低かった.また歯科衛生行動については歯間清掃補助具の使用率は33.6%,定期的な歯科健診の受診率は21.6%と報告されており26),我々の対象者においては歯科衛生行動をとっている者の割合は高値であった.我々の集団内ではポピュレーションアプローチとしての集団健康教育を受けることにより属性による差が小さくなっていた可能性がある.
10年以上の間,毎年ヘルスプロモーションの理念をもって集団健康教育を行っていることは,個々と集団の両方のヘルスリテラシーレベルを向上させている可能性がある.WHOの定義に「健康教育とは意識して企画した学習機会を意味し,個人やコミュニティの健康を導くような知識の向上や生活技術の開発といったヘルスリテラシーの改善を目的としたコミュニケーションを含むもの」とある27).様々な属性の集団を対象に集団健康教育を行う場合には,細かな要因に着目するよりも広い視野をもって集団全体のヘルスリテラシーを高め,個人的要因や環境要因を整理して行動を起こすことができるように教育を繰り返し行うことが重要だと考える.
一方,調査の結果,集団健康教育により新たに知識を習得することは必ずしも行動変容に結び付くわけではないが,行動を起こすことができた者には症状の改善といった効果が得られていたことがわかったことで,我々の集団健康教育の課題が明らかとなった.
知識を習得した対象者の行動変容を妨げていたのが何であるかを,今回の調査では明らかにすることができない.しかしオタワ憲章で,個人が健康的な生活を送ることができるスキルや能力を高めることを,個人だけに要求するのではなく,それをサポートできる環境を社会的,経済的,政治的に作り出すことが強調されている28, 29)ように,今後,教育を続ける一方で行動変容を妨げている要因や促す要因について検討し,より健康行動をとりやすい環境整備が必要だと思われる.
健康教育で知識を与えただけでは行動変容は起こりにくく,社会的に決定されているものを変えるには社会を変える必要があると言われている30).産業保健に携わる中,社内の健康管理・環境整備についとらわれがちであるが,社内にとどまらず対象従業員が生活する地域社会にも目を向け,地域の保健機関との連携を図りながら産業保健活動を推進していくことによる職域と地域のソーシャルキャピタルの向上なくしては真の目標達成は難しいと考える.
今回の集団健康教育の評価は良好であった.重回帰分析の結果から総合評価に対して影響度が高いのは教育テーマであった.次いでスライド,講師の影響度が高く,教育担当者のプレゼンテーション技術の向上等,自己研鑚を重ねていくことが評価を維持向上させる上で欠かせないことが示唆された.また,教育テーマへの満足が高いということは言い換えれば,多くの受講者の関心に合致した内容を教育できたことを示している.テーマの選択は重要だと考えられる.
今回は一方交通的(one-way communication)な教育方法をとっているが,講師と従業員の間でやりとりのある二方交通的(two-way communication)な方法や,従業員相互による教育方法については同様の評価をしたことがない.さらに教育効果を得られる方法について今後検討することが課題として挙げられる.
定期健康診断受診時に集団健康教育を受けた製造業従業員298名を対象に,教育による知識の習得,行動変容,歯周症状,教育の満足度について調査した.
我々が行った集団健康教育は受講者の知識習得と行動変容において有効であるが,今後は個と集団のヘルスリテラシーレベルを向上させるポピュレーションアプローチに加え,より行動変容を促すための環境整備を含めた支援と教育形式の検討が必要であることが示唆された.教育の総合評価や教育効果に影響しうる適切なテーマの判断力,スライドの作成技術・プレゼンテーション技術の向上のために教育担当者の継続した自己研鑚が重要であることが示唆された.
謝辞:教育媒体の作成にあたり,助言をいただきました浜松市健康福祉部健康増進課口腔保健医療センターの石川昭所長に深く感謝いたします.