産業衛生学雑誌
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職業性腸管嚢腫様気腫症の疫学的特徴
熊谷 信二
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2015 年 57 巻 2 号 p. 40-44

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I. はじめに

腸管嚢腫様気腫症(pneumatosis cystoides intestinalis, PCI)は腸管壁に多数の嚢腫様気腫が発生する比較的稀な疾患であり,消化管疾患,慢性閉塞性肺疾患,喘息,膠原病などに続発するPCIと,原発性のPCIに分類される1,2,3).臨床症状は,腹部膨満感,腹痛,便秘,下痢,粘血便などである.リスク因子としては,消化管疾患(胃十二指腸潰瘍,幽門狭窄,腸閉塞,虫垂炎,虚血性腸疾患,炎症性腸疾患など),慢性閉塞性肺疾患,喘息,膠原病,化学物質(トリクロロエチレン,抱水クロラール),薬剤(α-グルコシターゼ阻害剤,抗コリン剤,抗精神病薬),ステロイドホルモン長期投与などがあげられている.

これらの中でトリクロロエチレンは,以前にはドライクリーニングや金属部品の脱脂洗浄など産業現場の中で広く使用されてきた.このため1980年代にはトリクロロエチレン曝露に関連したPCIの報告がなされてきた.トリクロロエチレンは厳しい管理が求められる第1種有機溶剤に指定されたこともあり,一時期は1,1,1-トリクロロエタンなどのより毒性の低い化学物質に取って代わられたが,1,1,1-トリクロロエタンがオゾン層破壊物質として1990年代に製造禁止になったこともあり,現在でも脱脂洗浄剤として使用されている3).最近,筆者はトリクロロエチレン曝露によりPCIを発症したと考えられる労働者の労災申請にかかわる機会があり,これまで報告されているトリクロロエチレン曝露に関連したPCIの疫学的特徴について調べたので報告する.なお本稿では,産業現場におけるトリクロロエチレン曝露により発症したPCIを「職業性PCI」と呼ぶこととする.

II. 職業性腸管嚢腫様気腫症の発見

トリクロロエチレン曝露と原発性PCIの関連が最初に指摘されたのは1983年のことであり,信州大学の山口ら4)が原発性PCIの自験例12症例中11症例(92%)で,発症時に職業性のトリクロロエチレン曝露があることを速報的に報告したものである.さらに山口ら5)は自験例1症例を追加して13症例について詳細な解析を行い,うち12症例(92%)で職業性のトリクロロエチレン曝露があることを報告した.同時に,性,年齢,入院年を一致させた65症例を対照としてランダムに選択し,症例-対照研究を行い,トリクロロエチレン曝露のオッズ比144(症例13件中 曝露有12件 曝露無1件, 対照65件中 曝露有5件 曝露無60件)を報告している.また,トリクロロエチレン曝露を伴う原発性PCIでは,曝露中止により治癒あるいは症状の軽快が見られることも指摘している.

それらの報告を受けて佐藤ら6)は,1979年から1983年の5年間に学術雑誌に掲載されたPCI症例66症例(小児例など5症例を除く)について,トリクロロエチレン曝露の関連性を検討した.トリクロロエチレン曝露の有無を含むより詳細な情報を得ることができたのは,37症例(原発性21症例,続発性16症例)であり,原発性PCIでは21症例中15症例(71%)で発症時に職業性トリクロロエチレン曝露が認められた.山口ら7)は同様の手法で,1979年から1987年の9年間に学術雑誌に掲載されたPCI 118症例(小児例など6症例を除く)と自験例15症例を合わせた133症例について,トリクロロエチレン曝露の関連性を検討した.トリクロロエチレン曝露の有無を含むより詳細な情報を得ることができたのは,75症例(小腸PCI 8症例,原発性大腸PCI 50症例,続発性大腸PCI 15症例,小腸・大腸PCI 2症例)であり,原発性大腸PCIでは50症例中37症例(74%)に,続発性大腸PCIでは15症例中6症例(40%)に職業性トリクロロエチレン曝露が認められた.一方,小腸PCIおよび大腸・小腸PCIでは,トリクロロエチレン曝露は見られなかった.

これらの研究結果に基づき,1980年代中頃以降,トリクロロエチレン曝露と大腸PCIの間には因果関係があると考えられるようになった.

III. 疫学的特徴

職業性PCIの疫学的特徴を明らかにするため,PubMedおよび医中誌Webにより,(“トリクロロエチレン” or “trichloroethylene”) and (“腸管嚢腫様気腫” or “腸壁嚢状気腫” or “pneumatosis cystoides intestinalis”) をキーワードとして文献を検索した結果,56件の論文(学会あるいは研究会の抄録は含めなかった)が抽出された.また,その他に症例報告2件も見出した.それらの中で個別症例に関する記述のある論文は22件 4-6, 8-26)であり,症例は46件であった.いずれも国内の症例であり,海外ではトリクロロエチレン曝露と関連したPCIに関する報告は見られなかった.

Table 1に各症例の概要を示す.46症例中,男性が20人,女性が25人であり,性別の記載がないものが1人あった.年齢は男性では23–63歳(平均50歳),女性では20–57歳(平均39歳)であり,女性の方が若い傾向が見られる.部位はいずれも大腸であり,S状結腸が46症例中34人ともっとも多い.

Table 1. Patients with Pneumatosis cystoides intestinalis related to trichloroethylene exposure

トリクロロエチレンの用途は金属部品やガラス部品の洗浄がもっとも多いが,染色業でのしみ抜き,印刷業でのインキ洗浄,塗装業での塗料落しなどもあった.トリクロロエチレンへの曝露期間は,男性では0.25–42年(平均12年),女性では1–20年(平均7年)であり,女性の方が短い傾向が見られる.一部の症例(Table 1の症例8,10,28,32–37,43,44)については,作業中のトリクロロエチレン曝露濃度を測定したり,あるいは尿中代謝物濃度や血中トリクロロエチレン濃度を測定したりしており,トリクロロエチレン曝露レベルは8時間平均で8–57 ppmと推定されている.曝露レベルを推定できた症例が少ないため,この範囲が代表的な値であるかは不明であるが,日本産業衛生学会の許容濃度(25 ppm)27)の1/3–2倍程度,American Conference of Governmental Industrial Hygienists(ACGIH)のThreshold Limited Values (TLV, 10 ppm)28)の1–6倍程度である.

海外ではトリクロロエチレン曝露に関連したPCIの報告はないが,Florin29)は,PCI 6症例が抱水クロラール(トリクロロエチレンの代謝物)を含む投薬を受けていたことを報告している.

IV. 地域・年代的傾向と労災認定状況

46症例中19症例が長野県の医療機関からの報告であり,地域的な偏りが見られる(Table 1).長野県はカメラや時計など精密機械の製造で知られており,塩素系有機溶剤による金属部品やガラス部品の脱脂洗浄作業も多いと考えられる.しかし,東京都あるいは大阪府などの大都市地域では,製造業はより盛んであり,トリクロロエチレンの使用量も多いと予想されるが,職業性PCIの報告は長野県ほど多くはない.単に論文として報告していないだけであれば,特に憂慮する必要もないが,それだけではないように思われる.おそらく,長野県で報告が多いのは,トリクロロエチレン曝露との関連を指摘した研究者ら(山口ら)が患者の職業を意識しながら診察していたことに起因すると考えられる.したがって他の地域でも,患者の職業を意識しながら診察すれば,もっと多くの職業性PCIが発見されるものと予想される.

診断年は1980年代以前が36人と多く,1990年代は9人,2000年以降は1人であり,報告は減少傾向にある(Table 1).トリクロロエチレンの使用量が以前よりも減少していること,およびトリクロロエチレンの管理が適切に行われるようになり作業者の曝露が減少したことなどが,その原因と考えられる.また,トリクロロエチレン曝露とPCIの関連は既知の知見なので,患者を診ても論文として発表していないという事情もあろう.しかしもう1つの要因として,トリクロロエチレン曝露とPCIの関連を知らない医療従事者が増えている可能性もあり,そうであれば憂慮すべき事態である.

厚生労働省の資料30)によると,「トリクロロエチレンによる腸管嚢腫様気腫症」は労働基準法施行規則別表第1の2第4号の化学物質曝露による疾病の中で,9の「その他に包括される疾病」に含められており,1978年度から2011年度までの統計では,2008年度に1件が業務上として認定されているのみである.ただし,別表第1の2第4号の1の「厚生労働大臣の指定する単体たる化学物質および化合物(合金を含む)に曝される業務による疾病であって,厚生労働大臣が定めるもの」という規定に基づき,トリクロロエチレン曝露により発症した「頭痛,めまい,嘔吐等の自覚症状,中枢神経系抑制,前眼部障害,気道・肺障害,視神経障害,三叉神経障害,末梢神経障害又は肝障害」は業務上と認められるため31),腸管嚢腫様気腫症とともに,これらの疾病のいずれかを発症した症例で,業務上として認定されている症例もあるかもしれない.

職業性PCIは致死性の疾患ではなく,またトリクロロエチレン曝露を中止すれば,治癒あるいは症状が軽快するので,曝露と疾患の関連を認識しても労災申請に至らない場合もあると思われる.しかし,腹部膨満感,腹痛,便秘,下痢,粘血便などがあり,患者の日常生活に大きな苦痛を与える.また,私病であれば医療費負担もあり,場合によれば,退職を余儀なくされることもある.一方,労災として認定されれば,医療費負担がなくなるだけでなく,休業した場合には休業手当が支給され,また事業主による解雇制限があるため(労働基準法第19条),安心して治療に専念できる.この点はPCIだけではなく,他の職業性疾患についても同様である.したがって,労働基準法上の労働者に,仕事が原因と考えられる疾患が生じた場合は,労災認定に向けての医療従事者の積極的な関与が求められよう.また,発症した場合には労災申請することが必要であるが,より重要なことは予防することであり,そのためには職場でのトリクロロエチレンの曝露レベルを低減させることが不可欠である.

References
 
© 2015 公益社団法人 日本産業衛生学会
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