産業衛生学雑誌
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韓国の半導体製造労働者におけるリンパ造血系がんの発生
熊谷 信二毛利 一平
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2015 年 57 巻 5 号 p. 244-252

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I. 緒 言

韓国の大手半導体製品製造会社であるサムスン電子(本社:韓国京畿道水原市)がリンパ造血系がんの発生で揺れている.発端は2007年3月に急性骨髄性白血病により22歳で死亡した女性労働者の遺族が,同年6月に勤労福祉公団(Korea Labor Welfare Corporation: KLWC, 韓国における労災保険の実施機関)に対し,サムスン電子での業務が原因であるとして遺族給付などの支給を申請したことである1).勤労福祉公団は2年間かけて調査を行い,業務と白血病の間に相当因果関係がないと判断し,2009年5月に遺族給付などの不支給処分を行った.これに対し,遺族は処分を不服として審査請求を行ったが,2009年11月に棄却されたため,同公団を相手として,不支給処分の取り消しを求めてソウル行政法院に提訴し,2014年8月に第二審であるソウル高等法院が訴えを認める判決を下したのである.判決は「業務中にベンゼンなどの有害物質と電離放射線などに曝露したことが原因で急性骨髄性白血病を発症して死亡したか,あるいは少なくともこれらの要因への曝露が発症およびこれによる死亡を促進した原因になっていたと推認でき,したがって業務と死亡との間には相当因果関係がある1)」というものであった.その後,勤労福祉公団が上告しなかったため,判決が確定した.なお,同裁判では,急性骨髄性白血病3人,急性リンパ性白血病1人および非ホジキンリンパ腫1人の計5人が提訴し,うち上記の患者とともに働き,急性骨髄性白血病により30歳で死亡した女性労働者も業務上と判断されている.一方,他の3人については,「証拠不十分」として請求が棄却されたため,原告が上告し,現在係争中である.

我が国では,産業保健の専門家の間でさえも,サムスン電子でリンパ造血系がんの発生が問題になっていることはあまり知られていない.本稿では,半導体製品製造工程の概要を述べた後,サムスン電子の労働者における化学的・物理的有害因子への曝露状況とリンパ造血系がん罹患状況を調査した学術論文を紹介するとともに,これら調査の不十分な点およびこの問題へのサムスン電子の対応に関する考察も行った.なお,韓国では年齢を数え年で表現することが多く,本稿で紹介する学術論文の中でも満年齢ではなく数え年で表わしている場合があるが,本稿ではそれらの論文に記載された年齢のまま表記した.

II. 半導体製品製造工程

表1に半導体製品製造工程と各工程で用いられる化学物質と物理因子を示す2).半導体製品製造工程は前工程と後工程に分けられる.前工程はウェーハ(直径10~30 cm,厚さ1 mm弱のシリコン単結晶の薄板)に集積回路を形成する工程である.英語ではwafer fabricationというが,ここでは「ウェーハ加工」と呼ぶ.この工程では1枚のウェーハ上に多数の集積回路が形成される.それらを各々切り離してパッケージに封入し,電極を接続して半導体製品を完成させるのが後工程である.英語ではassemblyというが,ここでは「製品組立」と呼ぶ.

表1  半導体製造工程と使用する化学物質

前工程であるウェーハ加工は,拡散,フォトリソグラフィ,エッチング,ドーピング,蒸着,平坦化から成る2).拡散では,ウェーハの表面を酸,アルカリ,有機溶剤などで洗浄後,酸化膜を形成する.フォトリソグラフィでは,フォトレジストと呼ばれる感光剤をウェーハに塗布した後,電子回路図が描かれたフォトマスクを上に置いて紫外線を照射し,フォトレジスト上に回路図を縮小転写し,さらに現像液で処理することで,光が当たらなかった部分のフォトレジストのみ(あるいは光が当たった部分のフォトレジストのみ)を洗浄除去する.エッチングでは,ウェーハを化学的に処理することで,フォトレジストが除去された部分の酸化膜や金属膜などを除去し,さらに不要になったフォトレジストも洗浄除去する.このエッチングには,酸やアルカリを使用する湿式法と反応ガス(プラズマ)を使用する乾式法がある.ドーピング(イオン注入)では,イオンビームを照射することで,ウェーハにホウ素,リン,ヒ素を注入するが,その過程でX線などの電離放射線が発生する.蒸着では,ウェーハ上に絶縁膜や金属膜を形成する.平坦化では,ウェーハの表面の凹凸を化学的・物理的処理により平坦にする.これらの工程を様々に組み合わせて何度も繰り返すことで,重層的な電子回路ができあがる.なお,表1に示す化学物質以外にも,洗浄工程ではトリクロロエチレン,1,1,1-トリクロロエタン,フレオンなどが,拡散やドーピングでは,三酸化ヒ素,三塩化リン,オキシ塩化リン,三塩化ホウ素,三フッ化ホウ素,三酸化アンチモン,三塩化アンチモンなども用いられたとのことである3)

後工程である製品組立は,切断分離,マウンティング,ワイヤーボンディング,モールド,メッキ,トリム・フォームおよび検査からなる2).切断分離では,ウェーハ上に作成された多数の集積回路を切断分離する.マウンティングでは,集積回路をリードフレームに接着する.ワイヤーボンディングでは,リードフレームと集積回路の電極を金細線で接合する.モールドでは集積回路を保護するため樹脂で覆う.メッキでは,リードフレームの腐食を防ぐとともに,実装時のはんだ濡れ性を向上させるために,鉛,錫,ビスマスなどでメッキする.トリム・フォームでは,リードフレームから不要な部分を切り取ってリードを適切な形に曲げるとともに,異物などが付着している場合はトリクロロエチレンなどで拭き取る.そして最後にX線などを用いて検査を行う.

製造工程で半導体に埃が付着すると欠陥品になるため,これらの工程はすべてクリーンルーム内で行われる.内部の空気は,クリーンルームから排気した空気の大部分(ウェーハ加工工程では80%以上)を循環して外気と混合し,高性能のフィルターを通して供給されるが,製造工程で使用したガス・蒸気状の化学物質はフィルターでは除去できないため,それらが作業環境中に放出されると,クリーンルーム内に蓄積していくことになる4)

サムスン電子はキフン事業所(京畿道龍仁市, 英語表記Giheung)とオンヤン事業所(忠南道温陽市, 英語表記Onnyan)で半導体製造を行っており,前者は1984年に稼働を始めたウェーハ加工工場であり,後者は1991年に稼働を始めた製品組立工場である1, 2, 5).2008年時点の労働者数はそれぞれ24,000人および6,200人である.これらの事業所の労働者は事務室で働く事務労働者と,工場で働く製造労働者に分けられる.製造労働者は,さらにウェーハ加工や製品組立を直接行うオペレータ,製造設備の修理・保守管理および工程変更を行うエンジニア,事務的仕事を行う管理職,および工場全体の保守管理を行う施設管理者に分けられる6).オペレータとエンジニアはいずれも主にクリーンルーム内で作業を行うが,前者は女性が,後者は男性が多い6).また,エンジニアには,製造設備の修理などを行うサービスエンジニアと,製造工程の変更を行うプロセスエンジニアがある.管理職および施設管理者は主にクリーンルーム外で作業を行うが,時にはクリーンルーム内に入ることもある6)

III. サスムン電子のリンパ造血系がん患者

サムスン電子のリンパ造血系がん患者の労災申請が続く中,勤労福祉公団の依頼に基づき,韓国産業安全衛生公団(KOSHA)の産業安全衛生研究院(OSHRI)のKim EAら2)は,キフン事業所の白血病患者3人とオンヤン事業所の白血病患者2人,非ホジキンリンパ腫患者1人および再生不良性貧血患者1人,計7人の職歴および病歴の調査を行い報告している.一方,延世大学のKim Iら3)は,サムスン電子を含むサムスングループ(サムスン電子以外の企業名は記載されていない)で勤務しリンパ造血系がんを発症した労働者に関する情報を,Supporters for the Health and Rights of People in the Semiconductor Industry(SHARPs, 韓国名「パノリム」, 半導体労働者の健康情報の収集と被害者の支援をしているNGO)から入手して報告している.Kim Iらが把握できた患者は58人(半導体製品以外の電子製品製造の23人を含む)であるが,この中でサムスン電子のキフン事業所での勤務歴が確認されている白血病患者13人,非ホジキンリンパ腫患者4人,計17人の職歴および病歴の調査を行い報告している.

1) キフン事業所

Kim Iらの報告3)には,OSHRI のKim EAら2)が報告したキフン事業所の白血病患者3人も含まれていると考えられるので(性別,勤務時期,職種,発症時期,発症年齢が同一である),キフン事業所の患者情報についてはKim Iらの論文から引用する.表2に,キフン事業所のリンパ造血系がん患者17人の概要を示す.主な担当工程はエッチング5人,拡散2人,フォトリソグラフィ2人,検査2人,他の部署1人,詳細不明5人である.雇用開始時期は,1980年代が5人,1990年代が7人,2000年代が4人,不明が1人である.診断名は急性骨髄性白血病9人,急性リンパ性白血病2人,白血病(分類名は不明)2人,非ホジキンリンパ腫4人であり,11人がすでに死亡している.診断年齢は男性29~46歳(平均33.8歳),女性18~32歳(平均25.6歳)と非常に若い.雇用開始から診断時までの平均期間(潜伏期間と仮定)は女性7.5年,男性10.7年である.

表2  サムスン電子のキフン事業所およびオンヤン事業所におけるリンパ造血系がん患者
患者* 性別 雇用開始 職 種 主な担当工程 診断名 診断年齢 潜伏年数
キフン事業所
A (10) 1983 エンジニア 拡散工程 急性骨髄性白血病 46 22.6
B (3) 1987 エンジニア 不明 急性骨髄性白血病 29 11.0
C (4) 1989 エンジニア 不明 急性骨髄性白血病 32 11.5
D (8) 1997 エンジニア その他 急性リンバ性白血病 30 7.4
E (14) 2000 エンジニア フォトリソグラフィ 白血病(分類不明) 36 9.0
F (12) 2005 エンジニア フォトリソグラフィ 非ホジキンリンパ腫 30 2.8
G (5) 1988 オペレータ 不明 急性骨髄性白血病 32 14.0
H (16) 1988 オペレータ 不明 非ホジキンリンパ腫 30 12.6
I (2) 1993 オペレータ エッチング 非ホジキンリンパ腫 21 5.1
J (1) 1994 オペレータ 不明 白血病(分類不明) 18 0.3
K (7) 1995 オペレータ 拡散工程 非ホジキンリンパ腫 29 8.5
L (11) 1995 オペレータ 湿式エッチング 急性骨髄性白血病 30 11.5
M (17) 1995 オペレータ 検査 急性骨髄性白血病 26 8.4
N (13) 1999 オペレータ エッチング 急性骨髄性白血病 28 9.0
O (6) 2000 オペレータ エッチング 急性リンバ性白血病 23 3.7
P (9) 2003 オペレータ 湿式エッチング 急性骨髄性白血病 20 1.8
Q (15) 不明 オペレータ ウェーハ検査 急性骨髄性白血病 25 不明
オンヤン事業所
R (4) 2004 オペレータ 品質管理・検査 急性骨髄性白血病 20 2.8
S (5) 1991 オペレータ トリム・フォーム 急性骨髄性白血病 36 14.3
T (6) 1993 エンジニア メッキ 非ホジキンリンパ腫 38 15.4
U (7) 2000 オペレータ 製品検査 再生不良性貧血 19 1.3

*:A~Qは文献3,R~Uは文献2の情報であり,カッコ内の数値は原文の患者番号である.本表は文献2の表3および文献3の表2を基に作成した.

Kim Iらは17人中4人について詳細に報告している.ケースPは冒頭で述べた白血病で死亡した患者であるが,女性オペレータであり,2003年10月から2006年10月まで湿式エッチング工程の洗浄作業を担当していた.2005年5月に,嘔吐,疲労,めまいを感じるようになり,同年6月に急性骨髄性白血病と診断され,2007年3月に22歳で死亡した.また,ケースLは女性オペレータであり,1995年1月から2006年8月までケースPと同じラインで,金属配線,蒸着,湿式エッチング,拡散などの工程を担当した1).なお湿式エッチングでは,ケースPとペアになり約8ヶ月間洗浄作業を行った1).2006年7月に急性骨髄性白血病と診断され,2006年8月に30歳で死亡した1)

湿式エッチング工程の洗浄作業は後に自動化されたが,当時は,自動設備と手動設備が併設されており,上記の2人は主に手動設備による洗浄作業を行っていた1).自動設備の場合,オペレータがウェーハの入ったキャリアをローダーに載せると,キャリアが自動的に設備の中に入っていき,洗浄工程を終えて出てきたらそれを取り出す作業を行う.手動設備の場合,オペレータはウェーハが入ったキャリアを水酸化アンモニウム,アンモニア水,過酸化水素水,硫酸,イソプロピルフルコール,BOE溶液(水,フッ化水素,フッ化アンモニウム,界面活性剤の混合物)などが入った水槽に所定の時間をかけて浸した後に取り出す作業を繰り返す.その際に,水槽に供給される洗浄液は外部の供給装置から配管を通じて流入した後に水槽の両側に設置された排水設備から排出される.水槽の上部の両側に局所排気装置が設置されていて,洗浄液から蒸発する化学物質を外部に排出する.

ケースNは女性オペレータであり,1999年11月から働き始め,上記の2人とは別のラインでエッチング工程を担当したが,頭痛,消化不良,交代勤務の疲労のために2004年2月に退職した.2008年4月に急性骨髄性白血病と診断され,その後,骨髄移植を2回受けたが,2009年11月に死亡した.

ケースAは男性エンジニアであり,1983年8月から働き始め,拡散,エッチング,ドーピング(イオン注入)工程での装置の設置と保守を行っていた.勤務中は喘息様症状が出ていたという.2006年1月に退職したが,2006年3月に46歳で急性骨髄性白血病と診断され,2010年11月に死亡した.Kim Iらによると,彼は硫酸,エチレンオキサイド,ベンゼン,トリクロロエチレン,ホルムアルデヒドなどへの曝露の可能性があるという.また,イオン注入機の保守作業では,作業スピードが要求され,安全装置を働かさないで度々仕事したとのことであり,X線の曝露可能性が指摘されている.なお,電離放射線のリスクに関する教育を受けていなかったとのことである.

2) オンヤン事業所

表2には,OSHRI のKim EAら2)が報告したオンヤン事業所のリンパ造血系がん患者3人および再生不良性貧血患者1人の概要も示している.

ケースRは女性オペレータであり,2004年12月から2007年9月まで勤務し,主にモールド,メッキおよびトリム・フォーム工程の品質管理,製品の検査工程を担当した.モールドおよびメッキ工程の品質管理では,X線発生装置,超音波装置,レーザー計測器を使用した.また,メッキ工程の品質管理では,1,1-ジクロロ-1-フルオロエタン (HCFC-141b)および半田(鉛,錫,ビスマス)を用いたが,局所排気装置が設置されていた.2007年8月に呼吸困難,吐き気,嘔吐,めまいを感じるようになり,同年9月に20歳で急性骨髄性白血病と診断され,2008年4月には骨髄移植を受けたが,2010年3月に死亡した.

ケースSは女性オペレータであり,1991年1月から1996年1月まで勤務し,主にトリム・フォーム工程を担当した.彼女はトリム・フォーム機を操作しながらリードフレームを機械に出し入れするとともに,製品の汚れをトリクロロエチレンおよびHCFC-141bを用いて拭き取った.退社から7年後の2003年に,強い疲労感を感じるようになり,2005年5月に36歳で急性骨髄性白血病と診断された.2010年12月時点で治療中である.

ケースTは男性エンジニアであり,1993年5月から1998年12月まで勤務し,主にメッキ工程の装置の部品の交換および保守管理を担当した.また装置を洗浄して,メッキに使用する化学物質(鉛,錫,ビスマス,過酸化水素水,水酸化カリウム,硫酸,メタンスルホン酸,硝酸,硫酸カリウム,リン酸カリウム,ベンゾチアゾール,イソプロピルアルコール)をタンクに供給する作業も手動で行っていた.退職後,不動産会社で働いていたが,2008年10月に頸部のしこりとリンパ腺の腫れが生じ,38歳で非ホジキンリンパ腫と診断された.2010年12月時点で治療中である.

ケースUは女性オペレータであり,2000年7月から2001年11月まで勤務し,主に製品検査工程を担当した.この工程では,製品に電圧と熱の負荷を掛けて,不良品を取り除く作業をしていた.化学物質は使用しなかったが,製品を125°Cにするので,製品から揮発した有機化学物質に曝露された可能性はある.2001年3月に軽度の貧血が見られ,同年11月に19歳で再生不良性貧血と診断された.2010年7月時点で治療中である.

IV. サムスン電子の作業環境

勤労福祉公団の依頼に基づき,OSHRIは,最初に労災申請をしたケースP(表2)が働いていたキフン事業所の製造ライン(ケースLも働いていた)の作業環境調査を2007年に行っている4).測定場所は湿式エッチング,ドービング(イオン注入)および化学蒸着の各1ヶ所,乾式エッチング2ヶ所,フォトリソグラフィ3ヶ所であり,日間変動を考慮して,2日間の調査を行った.測定対象物質はベンゼン,n-酢酸ブチル,2-ペプタノン,セロソルブアセテート,メチルセロソルブ,プロピレングリコールモノメチルエーテルアセテート,エチレングリコール,イソプロピルアルコール,トルエン,キシレンなどの有機溶剤,フッ化物,フッ化水素,塩化水素,硝酸,リン酸,硫酸,ホスフィン,アルシンである.測定方式はエリアサンプリングを基本とし,可能な場合は作業者の呼吸位置でのサンプリングも行った.エリアサンプリングの結果を表3に示すが,いずれの測定点でも韓国の職業曝露限界(K-OEL)以下であり,また,呼吸位置の濃度および短時間曝露濃度についてもK-OEL以下であった.

表3  白血病患者らが勤務していた製造ラインにおける作業環境調査結果
測定物質 サンプル 測定結果 韓国のOEL
総数 検出数 単位 平均値 幾何平均値 範囲
IPA 24 24 ppm 0.25 0.19 0.059 0.80 200
PGMEA 12 12 ppm 0.080 0.079 0.068 0.103
フッ化物 18 2 mg/m3 0.00088 0.00074 ND 0.0042 2.5
フッ化水素 30 30 ppm 0.0041 0.0039 0.0013 0.0061 3 (天井値)
塩化水素 30 2 ppm 0.000088 0.000073 ND 0.00061 1
硝酸 30 5 ppm 0.000084 0.000052 ND 0.00091 2
ホスフィン 24 4 ppm 0.0026 0.0025 ND 0.01 0.3
アルシン 12 0 ppm ND 痕跡 0.005

IPA:イソプロピルアルコール,PGMEA:プロピレングリコールモノメチルエーテルアセテート,OEL:職業性曝露限界.測定対象物質の中で,ここに示す物質以外はいずれの測定点でも検出されなかった.本表は文献4の表2を基に著者らが作成した.

OSHRIのKim EAら2)は,キフン事業所の患者3人(表2のケースD, L, P)とオンヤン事業所の患者4人(表2のケースK, S, T, U)が働いていた工程に関する作業環境調査を2007年から2010年にかけて行い報告している.これら7人の患者が担当した工程で使用された化学物質の中でリンパ造血系がんを引き起こすことが確認されているものはないが(OSHRIによる評価),工程の中でベンゼンなどが発生する可能性7)を考慮して,7人が働いた全工程でベンゼンを測定するとともに,キフン事業所の3人が働いたウェーハ加工工程で,アルシン,セロソルブ,エチレングリコールの測定を行ったが,いずれも検出限界以下であった.また,2人の患者(ケースL, P)はイオン注入工程の近くを通過することがあり,その経路について9点で線量等量を測定した結果,8点については0.20–0.22 μSv/hとバックグラウンドレベル(0.21 μSv/h)であったが,1点は2.4 μSv/hであり,人為的な原因が疑われた.

またOSHRIは,サムスン電子が韓国の労働安全衛生法規の規定に従い,2002年から2007年の間に2つの事業所で実施した作業環境調査結果を入手して,これらの患者が勤務した工程に関連した情報の要約を報告している2).それによると,25種類の化学物質の気中濃度を測定しているが,いずれも韓国のK-OEL以下であった.

V. 韓国の半導体労働者の疫学調査

OSHRIは,労災申請者の調査を行う過程で,韓国の半導体産業全体におけるリンパ造血系がんの罹患リスクを評価することが必要と判断し,2008年に疫学調査を実施している6).対象事業所は韓国の半導体製品製造会社5社の8事業所である.Lee HEら6)によると,韓国でウェーハ加工工程を持つ半導体製品製造会社はこれら5社のみであり,8事業所は5社が持つ韓国内の全ての半導体製品製造工場とのことであり,したがって,サムスン電子の2つの事業所も含まれていることになる.これら8事業所のうち,4事業所はウェーハ加工を,1事業所は製品組立を,3事業所は両方を行っている.

対象者は死亡調査と罹患調査で少し異なるが,罹患調査では1998年から2007年までの間に1日以上勤務した労働者108,933人(男46,826人,女62,107人)であり,観察期間は同様に1998年から2007年までである.2009年時点の年齢は男性では30歳代がもっとも多く,女性では20歳代がもっとも多い.これらの中には事務労働者と製造労働者(オペレータ,エンジニア,管理職,施設保守管理者)が含まれており,製造労働者の割合は,男性では75%,女性では94%である.

コホート全体でみると,がん罹患者は男性では201人,女性では145人であり,標準化罹患比(SIR)はそれぞれ0.86(95%CI: 0.74–0.98)および0.88(95%CI: 0.74–1.03)と1より小さいが,著者らはhealthy worker effectであろうと述べている.白血病罹患者は男性では8人,女性では10人であり,SIRはそれぞれ0.69(95%CI: 0.30–1.37)および1.28(95%CI: 0.61–2.36)と有意な上昇は見られなかった.非ホジキンリンパ腫罹患者は男性では10人,女性では13人であり,SIRはそれぞれ0.93(95%CI: 0.45–1.71)および2.31(95%CI: 1.23–3.95)であり,女性では有意な上昇が見られた.ホジキン病罹患者は男性では1人で,SIRは0.90(95%CI: 0.02–5.00)であり,女性ではいなかった.

表4に,職種別に見た罹患者数とSIRを示す.この研究では,製造部門に一度でも所属したものは製造労働者に分類されており,事務部門のみに所属していたものが事務労働者に分類されている.一方,製造労働者内の細分類では,複数の職種に就いたものは両方のグループに含められているので,SIRの数値の解釈に注意が必要である.例えば,女性労働者の製品組立部門では4人が白血病に罹患しているが,同部門内のオペレータでの罹患者も4人となっているので,これら全員がオペレータの勤務歴があることがわかる.一方,この部門のサービスエンジニアでは,女性労働者1人が白血病に罹患し,女性エンジニアの総数が少ないこともあって,SIRは5.78(95%CI: 0.15–32.20)と高いが,上記のように,この方はオペレータの経験があるはずであり,SIRの高値がサービスエンジニアでの仕事におけるリスクを反映している可能性があるのか否かが判断できない.

表4  韓国の半導体製造労働者(5社8事業所)における白血病および非ホジキンリンパ腫の罹患状況

したがって,男性労働者では人数が多いエンジニア,女性労働者ではオペレータの数値が信頼性が高いと考えられる.白血病では,ウェーハ加工部門の男性サービスエンジニアが1.57(95%CI: 0.51–3.66),ウェーハ加工部門および製品組立部門の女性オペレータがそれぞれ1.15(95%CI: 0.42–2.50)および1.78(95%CI: 0.49–4.56)である.非ホジキンリンパ腫では,ウェーハ加工部門の男性サービスエンジニアが1.13(95%CI: 0.23–3.32),ウェーハ加工部門および製品組立部門の女性のオペレータがそれぞれ1.91(95%CI: 0.77–3.94)および3.15(95%CI: 1.02–7.36)である.全がん罹患のSIRがhealthy worker effectのため1より小さいことを考慮すると,これらの部門の白血病と非ホジキンリンパ腫のSIRがいずれも1よりも大きく,かつ製品組立部門の女性のオペレータでは統計的に有意であることは注目に値する.

一方,ウェーハ加工部門の男性プロセスエンジニアでは,白血病および非ホジキンリンパ腫のSIRはそれぞれ0.34(95%CI: 0.01–1.90)および0.74(95%CI: 0.09–2.67)であり1より小さい.また,製品組立部門の男性サービスエンジニアおよび男性プロセスエンジニアでは,白血病および非ホジキンリンパ腫の罹患者はいない.

VI. 考 察

1) リンパ造血系がんのリスク上昇の有無

本報では,サムスン電子のリンパ造血系がんに関連した学術論文を紹介したが,サムスン電子で何が起こっているのかが明瞭にならない.最初に問われなければならないのは,サムスン電子でリンパ造血系がんのリスクが本当に上昇しているのかという点である.そのためにOSHRI6)が疫学調査を行っているわけであるが,韓国の半導体製品製造会社5社8事業所の労働者を対象としているため,サムスン電子の労働者の実態を正確に反映しているかが不明である.会社あるいは事業所により,使用した化学物質の種類と量,発生源対策,保護具の着用,労働衛生教育,安全文化などが異なっていると考えられるので,個別に解析することが必要である.Leeらは,患者数が少ないため会社別あるいは事業所別の解析はできなかったと述べているが6),サムスン電子の実態を知ることが重要なのであるから,試みるべきであろう.さらに工程別の解析も行うべきである.例えば,SHARPsからの情報に基づいたKim Iらの報告3)では,キフン事業所のエッチング工程だけで5人の患者が出ているのであるから,OSHRIの疫学調査のデータから当該工程における対象者数と患者数を示すなど,各工程の詳細な情報を提示することが必要であろう.

また,疫学調査の対象者に1997年以前に退職した労働者が含められていないことも,結果が真のリスクを反映しているかを疑わせるものである.最近は自動化が進んでいるが,以前は手動作業が多かったとのことなので1),作業者が化学物質に曝露する機会が多かったと考えられるからである.例えば,Kim Iら3)の報告したキフン事業所の患者の勤務開始時期は1980年代が5人,1990年代が7人,2000年代が4人であり,Kim EAら5)が報告しているオンヤン事業所の患者は1990年代が2人,2000年代が2人である.Leeら6)は,全5社の労働者名簿が利用できるのが1998年以降のため,1997年以前のものは対象者に含めなかったと述べているが,サムスン電子のキフン事業所は1984年から,オンヤン事業所は1991年から稼働しており,サムスン電子に絞れば1997年以前に退職した者も含めた調査ができた可能性がある.

2) 様々な工程からの発症

サムスン電子で何が起こっているのか明瞭にならないもう一つの点は,様々な工程から患者が出ていることである.例えば,キフン事業所の患者を紹介したKim Iらの報告3)では,エッチング工程が5人ともっとも多いが,拡散,フォトリソグラフィ,点検・検査の各工程も2人ずつである.また,オンヤン事業所の患者を紹介したKim EAらの報告2)では,検査工程が2人であるが,他の2人は別々の工程である.つまり,仕事が原因と仮定しても,1つのリスク因子で説明できそうにない.実際,白血病患者2人を業務上と判断した裁判所の判決1)も,リスク因子をベンゼンなどの有害物質と電離放射線などとし,かつ,それらへの曝露が原因,あるいは発症の促進要因としている.

様々な工程から患者がでていることを説明できる仮説として,クリーンルームの換気方式の特殊性により,クリーンルーム全体の化学物質の濃度が高くなっていたというシナリオが考えられる.つまり,ウェーハ加工工程では,排気の80%以上を循環しているので4),作業環境中に漏れ出たガス・蒸気状の化学物質がクリーンルーム内に蓄積した可能性である.以前は手動作業が多く,このため化学物質が漏れ出る機会はより多かったと考えられるので,クリーンルーム内への蓄積は起こりえることであろう.

3) OSHRIの曝露評価

OSHRIは原因究明のために作業環境調査を行うとともに,サムスン電子が過去に実施した作業環境調査の結果をまとめているが2, 4, 7),いずれの化学物質もK-OEL以下であり,良好な作業環境が維持されているように見受けられる.しかし,OSHRIが入手したサムスン電子の作業環境調査結果は2002年以降のものであり2),また,OSHRIの作業環境調査は2007年以降に行われたものである2, 4, 7).上記のように,Kim Iら3)およびKim EAら2)の報告では,患者の勤務開始時期は1980年代および1990年代が多い.したがって,2002年以降の作業環境が良好であることを示しても,これらの患者たちが良好な作業環境下で働いていたことの証明にはならない.

また,OSHRIの作業環境調査2, 4, 7)とサムスン電子の過去の作業環境調査2)の結果は,主に通常稼働時の作業環境を反映したものである.調査当時は,すでに有害因子が発生する装置は密閉あるいは局所排気されていた.一方,装置の点検・整備やトラブル時の修理などの作業時には,労働者(特にエンジニア)が高レベルの有害因子に曝露された可能性があるが,これらの調査結果はこのような場面を十分には反映していない1)

保守管理作業時に労働者が高濃度の化学物質に曝露されていたことは,製造設備などに設置されたガス検知器が頻繁に警報を発令していたことからも伺われる1).例えば,2009年2月から同年7月までの間に,計46回の警報が発令されたが,そのうち標準作業手順書を遵守して保守管理作業を行っていた時のものが25回,標準作業手順書を遵守していなかった時のものが3回,通常作業時のものが3回,検知器の誤動作・原因不明が15回であった.警報が発令された化学物質は,アルシン,ホスフィン,シラン,三塩化ホウ素,塩素,臭化水素,塩化水素などである.

また,ソウル大学産学協力団の調査によると,キフン事業所の5つのウェーハ加工ラインでは99種類の化学製品が使用されていた1).単一の化学物質としては83種類であったが,そのうち10種類は納入業者により企業秘密とされ,物質が特定できなかったとのことである.また,サムスン電子が実施した定期の作業環境調査では83種類中25種類のみが対象となっていたので,それ以外のものの曝露評価ができていない.

4) 業務起因性の立証責任

以上のように,学術論文からは,サムスン電子におけるリンパ造血系がんのリスク上昇の有無や,患者が曝露された当時の作業環境がわからないが,その最大の要因は,サムスン電子が情報を開示していないことと考えられる.Kim Iら3)によると,サムスン電子は半導体製造事業所の労働者数や退職者数に関する情報,あるいは化学物質曝露やリンパ造血系がんに罹患した労働者に関する情報の提供を拒否しているとのことである.また,ソウル高等法院が判決の中で「サムスン電子は,ガスまたは化学物質モニタリングシステムの作動内訳などを明らかにせよという当法院の指示に対し,『ガス検知システムの資料保管期間を過ぎており,死亡者らが勤務した当時の記録がない』『化学物質モニタリングシステムは最近1年間10数回作動したが,そのすべてが白血病などとは無関係の物質によるもので,曝露レベルも基準値に満たない』と説明しただけで,その具体的な物質に関する資料を提出していない1)」と述べている.

労災裁判では,業務起因性の立証責任は原告である患者側にあるとされているが,サムスン電子が情報を開示しない中で,患者側が因果関係を立証することはほぼ不可能であろう.もちろん,そのような困難にもかかわらず,支援団体や専門家らの協力を得て,患者側は可能な限りの因果関係の立証に努めている.このような状況下では,行政である勤労福祉公団がサムスン電子から強制的に情報を取得して調査を進めるべきであるが,この点についてどのような努力がなされたかは,著者らは把握していない.しかしながら,患者が勤労福祉公団による労災不支給決定の取り消しを求めて裁判を提訴すると,本来は患者対公団の訴訟であるにもかかわらず,公団はサムスン電子が補助参加人として訴訟に参加できるように裁判所に申請し,サムスン側弁護士を立てて裁判に臨んでいるが8),このような公団の姿勢には疑問を感じざるを得ない.そのような中で患者側は「立証責任の転換」を主張している.すなわち,サムスン電子・公団側が因果関係がないことを証明できない限り,労災と認定するべきであるというものであるが,当然の主張と言えよう.

結 語

2014年10月末時点でSHARPsに情報が寄せられているサムスン電子における悪性腫瘍患者は189人(内84人死亡),そのうち143人(内62人死亡)が半導体製造関連であるという9).白血病,悪性リンパ腫,再生不良性貧血などのリンパ造血系疾患が多いが,脳腫瘍,乳がん,卵巣がん,肺がんなども含まれている.日本の産業保健の専門家としては,因果関係の有無をより明確にするために,今後どのような調査がなされるのか,サムスン電子はこの問題にどのように対応するのか,そして行政はどのように判断するのかなど,今後の展開に注目したい.一方,我が国の半導体産業で働く労働者にも同様の事態が発生しているとの情報はないが,製造工程は類似していると思われるので,これらの労働者における有害物質曝露と健康影響にも目を向ける必要がある.

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謝辞:論文執筆にあたり,韓国内の情報を提供してくださったソウル在住の鈴木明氏に感謝いたします.

References
  • 1)  ソウル高等法院第9行政部.判決 事件2011ヌ23995 遺族給付および葬儀料不支給処分の取消等(韓国語).2014年8月21日.
  • 2)   Kim EA, Lee HE, Ryu HW, Park SH, Kang SK. Cases series of malignant lymphohematopoietic disorder in Korean semiconductor industry. Saf Health Work 2011; 2: 122–34.
  • 3)   Kim I, Kim HJ, Lim SY, Kongyoo J. Leukemia and non-Hodgkin lymphoma in semiconductor industry workers in Korea. Int J Occup Environ Health 2012; 18: 147–53.
  • 4)   Park H, Jang JK, Shin JA. Quantitative exposure assessment of various chemical substances in a wafer fabrication industry facility. Saf Health Work 2011; 2: 39–51.
  • 5)  Samsung. Business overview. [Online]. 2014 [cited 2014 Nov 19]; Available from: URL: http://www.samsung.com/global/business/semiconductor/aboutus/business/overview
  • 6)   Lee HE, Kim EA, Park J, Kang SK. Cancer mortality and incidence in Korean semiconductor workers. Saf Health Work 2011; 2: 135–47.
  • 7)   Park SH, Shin JA, Park HH, et al. Exposure to volatile organic compounds and possibility of exposure to by-product volatile organic compounds in photolithography processes in semiconductor manufacturing factories. Saf Health Work 2011; 2: 210–7.
  • 8)  KimYU.勤労福祉公団 白血病訴訟,サムソンと協力文献公開される (韓国語).チャムセサン.2010.10.15. [Online]. 2014 [cited 2014 Dec 22]; Available from: URL: http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=58820
  • 9)  Lim J.パノリムが把握している被害者(2014年10月末)(韓国語).半導体産業における職業病予防対策推進のための討論会資料.2014.
 
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