産業衛生学雑誌
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短報
電気加熱原子吸光光度計を用いた作業環境の空気中インジウム分析
永滝 陽子 中野 真規子大前 和幸平田 美由紀田中 昭代宮内 博幸武林 亨
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2021 年 63 巻 1 号 p. 1-5

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1. 背景

日本産業衛生学会は,労働環境においてインジウム吸入曝露の健康影響を肺の間質性変化で評価し,日本で行われた労働者集団の2つの疫学調査結果1,2を基に,インジウムおよびその化合物の生物学的許容値として,血清中インジウム 3 µg/lを2007年に提案した3.2010年に厚生労働省から出された技術指針では,目標の空気中濃度として 0.01 mg/m3,許容される濃度として 3×10-4 mg/m3 が規定され,粉塵を捕集した濾紙の前処理法および誘導結合高周波プラズマ質量分析装置(ICP-MS)による分析法の詳細が示された4.2013年に改正された特定化学物質障害予防規則では,インジウム化合物の作業環境測定,評価,および適切な改善が義務付けられた5.管理濃度は定めず,試料採取方法は分粒装置を用いた濾過捕集法(吸入性粉塵),分析方法はICP-MSが規定された6

ICP-MSは同じく金属を分析する装置である原子吸光光度計(AAS)よりも感度が良いが,装置自体の価格およびランニングコストが高いことから,作業環境測定機関ではICP-MSの導入は進んでおらず,個人曝露測定,リスクアセスメントおよびその後の改善のための測定を縮小させ,労働者と企業はデータに基づく助言を受ける機会を逸している.

本研究の目標は,ICP-MSよりも汎用的な電気加熱原子吸光光度計(ETAAS)で空気中インジウムを捕集した濾紙試料を分析する方法を確立することである.第一にインジウム分析を高感度化する化学修飾剤を選択し,第二に試料液中に共存する元素がインジウム分析へ及ぼす影響を見る.その後,インジウム取り扱い作業場で採取した濾紙検体を分割し,ETAASまたはICP-MSを持つ2施設で前処理および分析を行い,分析値を比較して同等の結果が得られるかを検証する.

2. 方法

試薬,装置

インジウム標準液(1,000 mg/l),アルミニウム標準液(1,000 mg/l),銅標準液(1,000 mg/l),鉄標準液(1,000 mg/l),ニッケル標準液(1,000 mg/l),鉛標準液(1,000 mg/l),スズ標準液(1,000 mg/l),および亜鉛標準液(1,000 mg/l),硝酸パラジウム溶液(5 mg/ml)は富士フイルム和光純薬株式会社(大阪)より購入した.前処理および分析に使用した硝酸(原子吸光分析用,60–61%,関東化学株式会社,東京),塩酸(原子吸光分析用,35–37%,関東化学),エチレンジアミン-N,N,N’,N’-四酢酸,二アンモニウム(株式会社同仁化学研究所,東京,以下EDTAアンモニウム塩),および純水製造装置(Direct-Q UV,メルク株式会社,東京)で精製した超純水を使用した.

ETAAS分析には慶應義塾大学設置の偏光ゼーマン原子吸光光度計(Z-2710,株式会社日立ハイテクサイエンス,東京),パイロチューブHR(株式会社日立ハイテクフィールディング,東京),インジウム中空陰極ランプ(浜松ホトニクス株式会社,浜松)を,ICP-MS分析には九州大学中央分析センター設置のICP-MS(Agilent 7500ce,アジレント・テクノロジー株式会社,東京)を使用した.

ETAASにおける化学修飾剤の効果

硝酸3.8 mlを超純水で500 mlに定容し希釈用硝酸(硝酸濃度0.1 mol/l)を,硝酸,塩酸,超純水を1:3:4で混合し灰化用混酸を,灰化用混酸を超純水で20倍に希釈し希釈用混酸を調製した.EDTAアンモニウム塩 2 gを超純水で溶解して5 mlに定容し,EDTAアンモニウム溶液を調製した.インジウム標準液,アルミニウム標準液,ニッケル標準液,パラジウム溶液,EDTAアンモニウム溶液,およびそれらの組み合わせを希釈用硝酸または希釈用混酸で希釈し,試験液中の最終濃度を,インジウムは10 µg/l,化学修飾剤はアルミニウム 27 mg/l,ニッケル 235 mg/l,パラジウム 320 mg/l,EDTAアンモニウム溶液(低濃度)16 g/lまたはEDTAアンモニウム溶液(高濃度)33 g/lとした.試験液を室温で一晩静置した後,浮遊物を分離するために遠心(14,000 g×10 min)を行い,上清をETAAS分析に供し,サンプル間の吸光度の比較を行った.電気加熱炉の開始温度,終了温度,昇温時間,および継続時間は,乾燥(1)60°C,80°C,30 sec,10 sec,乾燥(2)80°C,120°C,30 sec,0 sec,灰化700°C,700°C,0 sec,5 sec,原子化2,700°C,2,700°C,0 sec,4 sec,測定波長は325.6 nm(スリット幅1.3 nm)に設定した.

ETAASにおける共存元素の影響

インジウム標準液,硝酸パラジウム溶液,EDTAアンモニウム溶液,アルミニウム標準液,銅標準液,鉄標準液,鉛標準液,スズ標準液,および亜鉛標準液の組み合わせを希釈用硝酸または希釈用混酸で希釈し,インジウム濃度は10 µg/l,化学修飾剤はパラジウム 320 mg/l,EDTAアンモニウム溶液 16 g/l,共存元素は100 mg/lの試験液とした.前項と同様の処理を行いサンプル間の吸光度の比較を行った.

ETAASにおける定量下限の算出

コニカルビーカーにセルロース濾紙(AAWP02500,直径25 mm,メルク)と灰化用混酸17 mlを加え,120°Cのホットプレート上で乾固直前になるまで加熱した.加熱終了後,ビーカーを希釈用硝酸で洗い込み,硝酸パラジウム溶液,EDTAアンモニウム溶液を加え 3 mlに定容した(灰化ブランク).室温で一晩静置し遠心上清をETAAS分析に供し,インジウム濃度 0/0.5/1/2 µg/lの標準系列を用いて標準添加法で定量し(n=9),標準偏差の10倍を求めた.

濾紙のインジウム添加回収試験

インジウム標準液を希釈用硝酸で希釈し2濃度のインジウム希釈液を調製した.セルロース濾紙にインジウム希釈液を添加し乾燥させた後,コニカルビーカーへ移し灰化用混酸 17 mlを加え,120°Cのホットプレート上で乾固直前になるまで加熱した.加熱終了後,ビーカーを希釈用硝酸で洗い込み,硝酸パラジウム溶液,EDTAアンモニウム溶液を加え 3 mlに定容した(最終インジウム濃度1または 10 µg/l,1濃度につき3サンプル).室温で一晩静置し遠心上清をETAAS分析に供した.

フィールドサンプリング

インジウム・スズ酸化物(以下ITO)ターゲットの研削作業を行う作業場で,作業環境測定基準に準じた定点測定と個人曝露測定を行った.定点,個人曝露測定のいずれも,粒径 4 µm,50%カットの分粒装置(PM-4 NWPS-254,柴田科学株式会社,埼玉)にセルロース濾紙(直径 25 mm,SKC Ltd.,イギリス)を付け,ミニポンプ(Σ3,柴田科学)を接続し流量 2.5 l/minで捕集した.濾紙は清浄な実験室で四分割し秤量した.分割した濾紙は2施設で異なる方法で前処理および分析した.

フィールドサンプルのETAAS用前処理と分析

濾紙4分の1枚をコニカルビーカーに入れ灰化用混酸 17 mlを加え,120°Cのホットプレート上で1時間灰化し,乾固直前まで残液を蒸発させた.灰化後のビーカーを希釈用硝酸で洗い込み,3 mlに定容した.灰化試料 900 µlを分取し硝酸パラジウム溶液 60 µl,EDTAアンモニウム溶液 40 µlを加え一晩静置し遠心上清をETAAS分析に供した.

検体は標準添加法で定量した.インジウム標準液を希釈用硝酸で希釈し,標準系列 0/0.5/1/2/5/10/20 µg/lを調製した.低濃度側の真度を良くするため,検体濃度が 2 µg/l以下の場合は標準系列 0/0.5/1/2 µg/lを,検体濃度が 2 µg/l以上の場合は標準系列 0/5/10/20 µg/lを使用し,吸光度のピーク高さで検量線を作成した.ETAASへの注入量は試料液 30 µlおよび標準液 30 µlで,標準液は炉内添加した.

フィールドサンプルのICP-MS用前処理と分析

濾紙4分の1枚をテフロン容器に入れ超高純度硝酸(TAMAPURE-AA-100,68%,多摩化学工業株式会社,神奈川)4 mlおよび超高純度過酸化水素水(TAMAPURE-AA-100,35%,多摩化学工業)1 mlを添加し,マイクロ波試料分解装置Multiwave PRO(Anton Paar GmbH,オーストリア)で酸分解した.硝酸を超純水で5倍希釈した13%硝酸液でロジウム標準液(1,000 mg/l,富士フイルム和光純薬)を 100 µg/lに希釈し内標準とした.分解液は超純水でポリプロピレン試験管に洗い込み,内標準 0.1 mlを添加した後 20 mlに定容し,PTFEフィルター(孔径 0.45 µm,株式会社アドバンテック,東京)で濾過した液をICP-MS分析に供した.インジウム検量線用標準液は,インジウム標準液(1,000 mg/l,関東化学)を13%硝酸液で希釈し内標準を加えて 0/0.02/0.1/1/10 µg/l(ロジウム濃度 0.5 µg/l)とし,内標準法で検量線を作成した.

3. 結果

インジウム定量に及ぼす化学修飾剤の添加効果を図1に示した.硝酸溶液ではアルミニウム,ニッケル,パラジウムおよびEDTAアンモニウム塩のいずれを添加してもインジウム感度は向上した.塩酸が加わった混酸溶液ではパラジウムとEDTAアンモニウム塩を組み合わせることでインジウム感度は向上したが,これにアルミニウムやニッケルを加えると感度は下がった.インジウム定量に及ぼす共存元素の影響を図2に示した.硝酸溶液ではアルミニウム,鉄,鉛,スズ,亜鉛で,塩酸が加わった混酸溶液では6種の元素すべてでインジウム感度が減弱した.

図1.

インジウム定量に及ぼす化学修飾剤の添加効果

硝酸溶液,修飾剤なしのインジウムの吸光度を1.0とした場合の,各条件のインジウムの吸光度比を表す.

白色は希釈用硝酸で,灰色は希釈用混酸で希釈し,いずれもインジウム濃度は 10 µg/l

修飾剤なし;

Al, アルミニウム 27 mg/l;

Ni, ニッケル 235 mg/l;

Pd, パラジウム 320 mg/l;

EDTA-low, EDTAアンモニウム溶液 16 g/l;

EDTA-high, EDTAアンモニウム溶液 33 g/l;

Pd+EDTA-low, パラジウム 320 mg/l+EDTAアンモニウム溶液 16 g/l;

Pd+EDTA-high, パラジウム 320 mg/l+EDTAアンモニウム溶液 33 g/l;

Pd+EDTA-high+Al, パラジウム 320 mg/l+EDTAアンモニウム溶液 33 g/l+アルミニウム 27 mg/l;

Pd+EDTA-high+Ni, パラジウム 320 mg/l+EDTAアンモニウム溶液 33 g/l+ニッケル 235 mg/l;

all, パラジウム 320 mg/l+EDTAアンモニウム溶液 33 g/l+アルミニウム 27 mg/l+ニッケル 235 mg/l.

図2.

インジウム定量に及ぼす共存元素の影響

硝酸溶液,共存元素なしのインジウムの吸光度を1.0とした場合の各条件のインジウム吸光度の比を表す.白色は希釈用硝酸で,灰色は希釈用混酸で希釈した.いずれもインジウム濃度は 10 µg/l,共存元素の添加濃度は 100 mg/l,化学修飾剤としてパラジウム 320 mg/l,EDTAアンモニウム溶液 16 g/lを加えた.

Al, アルミニウム;

Cu, 銅;

Fe, 鉄;

Pb, 鉛;

Sn, スズ;

Zn, 亜鉛.

灰化ブランクのETAAS分析値の標準偏差を10倍すると 0.39 µg/lとなった.これを切り上げ最終試料液の定量下限を 0.5 µg/lとした.添加回収率は,低濃度で90%,高濃度で115%だった.

インジウム取り扱い作業場で採気したサンプル(定点25検体,個人曝露3検体)をETAASおよびICP-MSで測定し空気中濃度を計算すると,ETAASでは0.1から 26.8 µg/m3,ICP-MSでは0.1から 25.4 µg/m3 となった.ICP-MS分析値をx軸に,ETAAS分析値をy軸にとってプロットすると,y=0.966x(相関係数r=0.974)となった(図3).

図3.

ICP-MSとETAAS分析値の比較

x, ICP-MSで測定した空気中インジウム濃度(単位 µg/m3

y, ETAASで測定した空気中インジウム濃度(単位 µg/m3

4. 考察

ETAAS分析に使用する化学修飾剤として,松崎らの論文7で用いられたアルミニウム,ニッケル,EDTAアンモニウム塩,および宮内らの論文8で用いられたパラジウムを比較した.硝酸溶液でも混酸溶液でもパラジウムとEDTAアンモニウム塩の組み合わせで最も高感度となり,EDTAアンモニウム溶液の添加濃度については,低濃度(16 g/l, 0.05 mol/l)から高濃度(33 g/l, 0.1 mol/l)に上げてもインジウム感度は向上しなかった.供試料液中の最大の金属イオン濃度は,インジウム 10 µg/l(0.087 µmol/l),パラジウム 320 mg/l(0.003 mol/l),アルミニウム 27 mg/l(0.001 mol/l),ニッケル 235 mg/l(0.004 mol/l)の合計 0.008 mol/lであり,低濃度のEDTAアンモニウム溶液であっても当量以上のEDTAを供給するので,さらにEDTA濃度を上げても増感効果はないことを示していると判断した.あるいは,混酸溶液中の塩化物イオン(0.2 mol/l)がEDTAアンモニウム溶液由来のアンモニウムイオンと反応し,塩化アンモニウムとなってETAASの乾燥・灰化工程で揮散し,インジウム感度に影響を及ぼすかと予想したが,増感も減弱もなかった.よって以降の分析で使用する化学修飾剤とその濃度は,パラジウム 320 mg/l,EDTAアンモニウム溶液 16 g/lとした.

インジウム取り扱い作業場の空気中には,インジウムを産出する亜鉛鉱床に含まれる銅,鉄,スズ,亜鉛,透明電極製造で使われる銅,スズ,金属リサイクルで回収量の多いアルミニウム,銅,鉄,鉛が共存する可能性があると考えた.パラジウムおよびEDTAアンモニウム溶液を含むETAAS供試料液にこれらの元素の標準液を最終濃度 100 mg/lになるように添加しインジウム分析へ及ぼす影響を見た.図2に示したとおり,硝酸溶液の銅を除くすべての元素がインジウム感度を減弱させる方向に働き,その減弱の程度は元素の種類によってばらつきがあった.すなわち今回選択した化学修飾剤のパラジウムおよびEDTAアンモニウム溶液では共存元素の干渉をすべてなくすことはできなかった.また,硝酸-塩酸の混酸溶液よりも硝酸溶液のほうがインジウム感度が良かったことから,灰化容器の洗い込みと定容は希硝酸で行うこととした.

インジウムは吸入性粉塵中の濃度として作業環境評価されるため,分粒装置の付いたサンプラーを使用しサンプラーの種類ごとに決められた流速で試料空気を吸引してサンプリングを行う.小型のサンプラーは流速が小さく設定されており,例えば,慣性衝突式NWPS-254では流速 2.5 l/min,サイクロン式では流速2.5から 3 l/minである.個人曝露測定であれば採気時間が4時間または8時間と長いので採気量が確保できるが,個人の短時間曝露測定あるいは作業環境測定における移動作業のB測定の評価を可能にするために,定量下限をできるだけ下げることを試みた.今回得られた最終試料液の機器分析の定量下限は 0.5 µg/lであり,宮内らの分析法の定量下限 0.14 µg/lに比べると高い値である.この理由については,宮内らはグラスファイバー濾紙で評価していること,最終試料液の定容に用いたのが超純水であることによって違いが生じたと考える.一方,技術指針に記載されたICP-MS法の最終試料液の定量下限は 0.07 µg/lであり,この感度の差を埋めるために,我々は最終試料液量を 3 mlと少量にした.灰化に使用したビーカーを洗い込んで試料液量を 3 mlとするのは,注意深く操作する必要はあるが,現実的に対応可能である.加えて,感度を向上させるためにETAASへのサンプル注入量を 30 µlと多めに設定した.しかし,ETAASへのサンプル注入と乾燥工程に繰り返しによる炉内での試料の濃縮は,感度向上が見られなかったので採用しなかった.このようにしてできるだけ定量下限を下げた結果,インジウム作業場の許容できる空気中濃度 3×10-4 mg/m3 の10分の1を測定するのに必要な採気量は 50 l(流量 2.5 l/minで20分間採気)となった.

前述のとおり,今回の分析条件では共存元素の干渉が残っている.インジウム取り扱い作業場で採取したサンプルは,場所および時間帯ごとに共存元素の種類と濃度に違いがあることが予想されるため,標準添加法にてインジウム定量を行った.サンプルの検量線の傾きは,算術平均を100%とした場合73から113%の範囲でばらつきがあった.サンプルのETAASおよびICP-MS測定値を比較したところ,y=0.966x(x, ICP-MS測定値;y, ETAAS測定値;相関係数,r=0.974)と良好な関係が見られたことから,ETAASでICP-MSと同等の分析結果が得られたと考えられる.

結論として,作業環境の空気中インジウムの測定においては,化学修飾剤としてパラジウムとEDTAアンモニウム塩を添加し,標準添加法で定量することにより,ETAASはICP-MSと同等の分析結果が得られた.

謝辞

著者らはフィールドサンプリングにご協力いただいた企業および従業員の皆様に深く感謝する.

利益相反

利益相反自己申告:申告すべきものなし

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