物理探査
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論説
明治時代,地質学的論争の陰に埋もれた日本最初の磁気探査―35年後の偶然―
大熊 茂雄
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2020 年 73 巻 p. 236-254

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抄録

日本での物理探鑛の始まりについて,文献資料をもとに検証を行ってきた。当学会では,京都帝国大学の山田賀一が,大正8年(1919年)兵庫県高野鉱山で磁鉄鉱を調査するために磁気探鉱を実施したのが日本で最初の物理探鉱であるとされている(編輯委員会,1948)。一方,佐藤(1985)は,地質調査所の関野修蔵が明治24年(1891年)に釜石鉱山で鉄鉱床の調査のため磁気測量を行ったことを紹介し,これが日本で最初の物理探鉱であったろうと述べている。当時としては国際的にも先駆的な調査ではあったが,観測点が僅か9点で,磁気測量も伏角,偏角のみしか観測されておらず,また観測結果の表示や解釈も十分ではなかった。特に報告書に添付されているはずの観測箇所が記された地質図が図書館を通じた文献調査でも入手できなかったことは成果の評価を困難としている。ただし,当時,観測手続や観測点の環境が記された野帳は地質調査所に保管されており,関野による釜石鉱山での磁気測量の際の野帳もあったに違いない。しかし残念なことに,地質調査所の庁舎は大正12年(1923年)の関東大震災により焼失し野帳を含む多くの諸資料が失われてしまった。また,関野自身も本業の地形課の業務に忙殺されるとともに,関野が関わった第一次全国磁気測量結果に基づく恩師ナウマンの論文に係わる地質学的論争の影響を受けて,磁気測量へのさらなる関与に躊躇した可能性がある。このようなこともあり,釜石鉱山における関野の調査は忘れ去られ,日本で最初の磁気探鉱(物理探鉱)とは認定されなかったと考えられる。釜石鉱山では,関野の調査に遅れること35年後の大正15年(1926年)に京都帝国大学の藤田義象による磁気探鉱が実施され,新鉱床の発見に至ったという(藤田,1928)。奇しくも新鉱床が発見されたのは,関野の調査で偏角異常が観測された佐比内峠のすぐそばであった。

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© 2020 社団法人 物理探査学会
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