2010 年 75 巻 5 号 p. 541-561
本稿は,戦間期チェコスロヴァキアにおけるドイツ人社会民主党による地方自治行政の実践とその経済的位置を解明し,同党が依拠した地方財政の思想を批判的に検証することを目的とする。ドイツ人社会民主党は北・北西ボヘミアの鉱工業地帯を中心に市町村や郡の行政を担い,有産者に課す直接国税付加税を財源として無産住民の福祉の充実に実績を挙げたが,1927年の法律は付加税率への上限設定によってこれを挫折させた。ボヘミア諸邦における経済と財政の状態を検討すると,地方財政の付加税への依存度が高い北部ドイツ人地域では基幹産業が不振であったために,上昇した付加税率による負担は納税者の担税力を上回ったと考えられるのに対し,南・西部では付加税への依存は小さかった。このため,付加税率の制限が及ぼした財政への影響は地域によって異なり,合理的な地方財政は地域間の財政調整を必要としたであろう。しかし,この時,ドイツ人社会民主党の実践者たちの多くは個別団体の自由な付加税徴収権の復活を要求するに止まり,付加税制度の不合理を乗り越え,自治行政を国民的自治と結びつける構想は理解されなかった。