サービソロジー
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特集:サービスデザインの世界を俯瞰する ~アカデミアの観点より~
ユーザー〈脱〉中心サービスデザイン
山内 裕佐藤 那央
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2017 年 3 巻 4 号 p. 10-15

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1. はじめに

「サービスデザイン」という言葉が定着し,それを掲げた研究や実践が多くなされるようになった今日,それらを1つに集約し体系化して議論することは困難になりつつある.この事態はサービスデザインの普及がそれなりに成功しつつあるという事実がある反面,その独自性がわかりにくくなっているということでもある.例えば,サービスデザインは人間中心設計の考え方に基づいていると言われ,そのデザイン方法は,デザインエスノグラフィ,ペルソナ,ラピッドプロトタイピング,参加型ワークショップなど従来から使用されてきたものが多く,サービスデザイン特有のものだとは言い難い.また,カスタマージャーニーマップやサービスブループリントなどの新しいツールが,従来の人間中心設計の延長としてデザイナーのコミュニティに定着すればするほど,サービスデザインの独自性はわかりにくくなってしまう.これではサービスデザインを提唱する人々が,ユーザーの体験を包括的にデザインすると主張したとしても,人間中心設計を実践してきたデザイナーからすれば,「それは自分たちがずっとやってきたことだ」ということになってしまうだろう.

サービスデザインは,単に個々のタッチポイントから体験全体に対象を広げただけで,デザイン方法論は人間中心設計と変わらないのだろうか? 多くのサービスデザインの教科書は,いくつかの違いを指摘するだろうが,概ねこの質問に「イエス」と答える.しかしながら,我々のこの問いに対する答えは「ノー」である.サービスをその対象としたとき,デザイン方法論は根本的に考え直さなければならない.サービスデザインは独自のデザイン方法論を持っているのだ.

そこで本稿では我々のサービス研究に関する理論的視座から,人と人との相互行為によって織り成されるサービスをデザインする上で,思考の転換と新たな方法論の必要性を素描したい(山内,佐藤 2016).ゆえに今日語られているサービスデザインに関する一般的な概念に対し,疑問を投げかけるような論調になってしまうことは避けられないだろう.しかし,本稿に現状のサービスデザインを否定する意図はない.むしろ,サービスデザインの実務家や研究者が,その革新性をより明確に語ることができるようにしたいと考えているのである.実際,力強いサービスを生み出している実務家は,明確に言葉にできないかもしれないが,本稿で説明するデザインの新しい方法論を実践しているだろう.その革新性は安易に従来の言説に還元してしまうべきものではなく,解放しなければならない.本稿の狙いもそこにある.

2. 既存のサービスデザイン

2.1 サービスデザインの成立背景と基本的概念

本題に入る前に,まずはサービスデザインが発展してきた背景や,既存の概念について振り返ることから始めたい.その上で,我々が主張するサービスにおける相互主観性の理論が,それらの基本的な概念とどのように関係し,問題となるのか説明していくこととする.

経済の中心がプロダクトからサービスへとシフトし,製造業や販売業などの業態も自らの事業をサービスと捉え直す動きが定着しつつある.このサービスを,デザインの視点から捉え直そうというのがサービスデザインである.人間中心設計を提唱したノーマンは,それまで利用者の視点から「デザイン」してこなかった様々な物体の問題を明らかにし,利用者を中心としたデザインを提唱した(Norman 2013).同様にサービスデザインは,これまでデザインが対象としてこなかったサービスという領域に,実績のあるデザイン方法論である人間中心設計を導入してきた側面がある.

現在ではサービスデザインの教科書といった位置づけで編纂された書籍も幾つか見受けられるが,どれも基本的には人間中心設計を踏襲している.例えば『THIS IS SERVICE DESIGN THINKING』ではサービスデザインにおける基本的な概念として,ユーザー中心,共創,インタラクションの連続性,物的証拠,ホリスティックな視点といった5つが挙げられている(Stickdorn and Schneider 2011).同様に,Polaine等による『サービスデザイン』においても,顧客の体験としてサービスを捉え,そこに関わる人々を中心とした共創の重要性が強調されている(Polaine et al. 2013).

このように,「ユーザー体験」,「共創」といった概念,そしてそれを貫く設計思想として「人間中心設計」がサービスデザインの基本的前提として浮かび上がってくる.そこで,次にこの「ユーザー体験」,「共創」といった概念がどのように語られているか,上述の2冊の書籍を中心にもう少し具体的にみていくこととする.

2.1.1 「体験」の概念

サービスデザインのキーワードの1つがユーザー体験のデザインであるとすると,それは同じく体験をデザインの対象としてきたインタラクションデザインやUXデザイン等と,どのように異なるのだろうか.以下の引用がその問いに答えている.

サービスデザインにおいてはコンテクストを理解することが非常に重要であり,この点がデザイナーのほとんどがもっているユーザー中心設計に対する理解と異なります.UXデザインやインタラクションデザインにおける私たちの経験では,たいていの場合,個々のタッチポイントというと画面上のタッチポイントばかりが着目されます.(Polaine et al. 2013, p. 151)

私たちの日常生活を取り囲む全てのサービスは,そこに関わる人々やモノとのインタラクションの連続で構成されている.そのようなサービスをデザインしようとするとき,その接点1つ1つを個別にデザインするのではなく,インタラクションをつなぎあわせて,総合的に体験をデザインするという点が新しさとして指摘される.そして顧客は全体としてサービスを体験し,その全てがいかにうまく連携しているかを評価の基準にすることになる(Polaine et al. 2013).つまり,ユーザーのコンテクストやフローを考慮した,顧客体験全体をデザインすることが求められているのである.

このように,ユーザーの体験を各々のタッチポイントにおける「点」として捉えるのではなく,一連のシームレスな「線」として捉える考え方の転換や,それを実現させるための手法を模索してきたことが,サービスデザインにおける1つの革新性であるとされている.

2.1.2 「共創」の概念

この一貫性のある体験全体をデザインする際に推奨されるのが,そこに関わる人々全てを巻き込んだ「共創」という概念である.サービスドミナントロジックなどで言う「価値」の共創(co-creation)とステークホルダーが参加した「サービス」の共同生産(co-production)は厳密には異なるが,共創は後者の意味も含めて用いられている.

サービスデザインでは,単に人々のためにデザインするのではなく,人々と一緒にデザインします.ここが従来のユーザー中心設計や多くのマーケティングと異なる点です.ここでいう「人々」とは,単に顧客や ユーザーだけではなく,サービスを提供するために働く人も含んでいます.(Polaine et al. 2013, p. 48)

個々のサービス案には,大勢の登場人物やいくつもの顧客グループ,そしてさまざまな従業員やインターフェースが関わってくるのです.したがってサービスデザインで,サービス案を検証し,意思決定を進めて行く際は,顧客や他のあらゆるステークホルダーの力を結集しなければなりません.(Stickdorn and Schneider 2011, p. 38)

個々のタッチポイントを分断することなく統一感のあるデザインを行うために,そこに関わる様々な立場の従業員,そして顧客やユーザーもその創出のプロセスに巻き込むことが,サービスデザインにおけるもう1つのキーワード,「共創」として示されている.この共創というプロセスを経ることで,一貫したサービスのデザインを実現するだけではなく,デザインされたものに対する所有感や愛着の向上,顧客とのパートナーシップ,円滑なコミュニケーションの実現などといった副次的なメリットも期待できるとされている.

2.2 体験を共創するサービスデザイン

ここまでの議論を踏まえると,サービスデザインという行為は,サービスにおける「ユーザーの体験全体」をデザインすることを目的に,そのサービスに関わる人々を巻き込んだ「共創」のプロセスを理想像として語られていることがわかる.冒頭でも述べた通り,サービスが経済において重要性を増すにつれ,その創出を目指すという実践的な文脈や,そのためのツールを研究するなどといった方向性でサービスデザインに関わる人々の立場は多様になりつつある.それに伴って,サービスデザインに対する基本的な認識やアプローチもまた様々であると考えられる.一方で,ここまで確認してきたような基本的な概念に対しては大きな反論が展開されることもなく,一定の理解が構築されつつある.

しかしながら,冒頭でも述べた通り,本稿ではこれらの概念が実際には深く議論されないままサービスデザインが進められている危うさと問題点を,サービスの理論的視座(山内 2015)から指摘していく.

3. サービスデザインへの問題提起

3.1 主観的な「体験」の問題

既に確認した通り,サービスデザインは個々のタッチポイントのみに捉われることなく,ユーザーの体験全体を考慮することをその特徴として掲げている.しかし,サービスという事象をデザインするとき,プロダクトやシステムを対象としてきたデザインとの違いは本当にそこだけなのだろうか.また,デザインの結果として実現されるべき「体験」とは一体どのようなものだろうか.

既出の書籍において,サービスにおけるネガティブな体験は,不愉快な接客,サービスプロセスの一貫性のなさ,使いにくいインターフェースなどといった事例で語られている.しかしその一方で,デザインすべき体験は,それらを排除した「ポジティブな体験」としてしか定義されていない.ネガティブな体験を排除するというだけでは,サービスデザインが可能にするものも現状のサービスからの改善にとどまることになる.

そもそもユーザーの主観的な「体験」という概念を,サービスを議論する際に持ち込むことには理論的な問題がある.そしてこの根本的な過ちが,サービスデザインの中心にユーザーにとっての「ポジティブな体験」という抽象的な概念を据えざるを得なくしている原因である.本来,人と人とが関わるサービスというプロセスは終始,相互主観的なレベルの事象であり,それを議論する際,主観的な視点から出発してはならないのである.このことを順を追って説明していこう.

サービスがプロダクトやシステムの利用と根本的に異なるのは,ユーザーがその活動の一部として共に価値を創造するというところにある.価値共創(value co-creation)という今ではよく知られたサービスの基本的前提がそのことを示しているように,サービスという行為はそこに関わる人々の相互行為の連続として構築され価値が生み出されていくはずである.主観性を前提とするということは,ある主体(客やデザイナー)がある客体(サービス)を見て,主観的にその価値を判断するという枠組みを受け入れるということである.この客体(サービス)の中に主体が含まれている時点で,この枠組みは破綻している.

ここを読み違え,ユーザーの主観的な視座から話を進めてしまうと,ユーザーが客体をどう理解し使うのかという視点になり,ユーザーにとってわかりやすく,喜ばしいものをデザインすればよいということになってしまう.その結果,何らかのポジティブな体験といった曖昧な概念をデザインの対象として据えざるを得なくなるのである.また,そのようなポジティブな体験の実現をデザインの目的として,その達成を目指すということは,ユーザーという主体を提供者側が予め措定することに繋がる.つまり,そのユーザーがどのような人であるか,という根本的には解決しない問題を,サービスの改善を通じた「ポジティブな体験によって満足を得る存在」としてうやむやにし,デザインの前提にしてしまっているのである.

これは多様なニーズを持つユーザーに対してフレキシブルに対応せよ,という類の主張ではない.繰り返すようにサービスという事象にはユーザーもそのプロセスに内包されている.そして人と人とのインタラクションという相互主観的な次元でその意思を示し合い,合意を形成し合いながらその価値を創出していくのである.サービスをデザインするという際にも,私たちはそのことを念頭に置かなければならないはずである.

3.2 調和を目指す「共創」の問題

ここまでの議論を踏まえると,もう1つのキーワードである「共創」(あるいは共同生産)という概念の危うさも透けてくる.サービスデザインにおいて,立場や時には利害関係の異なるステークホルダーを巻き込むことが推奨されていることは既に確認済みである.

しかし,もしもこの共創のプロセスの帰結が利害の一致やコンセンサスの獲得だとするならば,やはりそれは多数の声を1つに集約した調和を良しとする固定観念であると言わざるを得ない.調和のもとデザインされたサービスが素晴らしいものであるという保証はどこにもない.それどころかむしろユーザーや関係者という主体をここでも集約された1つの前提として措定してしまう可能性すらある.

確かに統一感のある一貫したサービスフローを実現するために,そこに関わる人々の協調がある程度必要となるのは理解できる.しかし,そのような協調が実現されたとしても,それは多数の声を1つに還元したモノローグ的なものではなく,それぞれの声が互いに緊張感を保ちつつ関係し合うダイアローグ的(Bakhtin 1963)なものとして捉える方が自然であろう.そしてそのような関係性がそのままサービス現場に持ち込まれる可能性も,私たちは十分に理解しなければならないはずである.

共創にまつわるこれらの問題提起は,既存のサービスデザインにおける議論がモノローグを前提としているという主張や,数多く実践されているであろうこのような共創の場を経験的に調査した結果からの主張ではない.しかし,この「共に創る」という魅力的な言葉の響きに惑い,それを経由することで,本来そこにあるはずの矛盾,緊張,衝突などといった側面があたかも簡単に排除されるかのような言説には注意が必要である.また,共創という概念を使うにしても,そのプロセスにどのような意味があるのかについて,今一度,注意深く議論しなければならないだろう.

3.3 人間中心設計を乗り越える

上述した問題があまり議論されない理由の1つは,サービスデザインが「人間中心設計」という従来のプロダクトやシステムを対象としたデザインの理論を無批判に踏襲しているからであろう.ユーザーの期待に応える,ポジティブな体験を提供する,といった形でそれに対応しようとすればするほど,相互主観的なサービスにおいては,ユーザーをはじめそこに関わる人々を,あたかもモノであるかのように,所与のものとして措定せざるを得なくなってしまうのである.この意味では人間中心という思想についても転換が必要になろう.

これは決して「人間中心」という考え方が間違いであるという主張ではなく,サービスという相互主観的な事象における「人間」というものを考慮してサービスをデザインするにはどうすればよいか,今一度問い直しが必要ではないかという指摘である.

このことは,人間中心設計を立ち上げ提唱してきたノーマン自身の人間中心設計に対する批判を確認することで明確になる.人間中心設計は,ユーザーにとってわかりやすく,ストレスがなく,自分がコントロールしている感覚を与えるデザインを導くことを目的とする.しかしその後,エモーショナルデザインの概念によって,それを完全に否定することになる.人間中心設計では良い(good)デザインは生まれるかもしれないが,素晴らしい(great)なデザインは生まれないというのである(Norman 2005, p. 19).

ノーマンがこのエモーショナルデザインの事例として挙げているものの多くが,サービスの事例であるということは留意するべきだろう.例えば,アパレルのディーゼルの店は外から見て威圧的で,暗く商品を見にくい上に,音楽がうるさく落ち着いて買い物ができないようにデザインされている.この記述のすぐ後で,ノーマンは次のように言う.

人間中心のデザインを実践している者にとっては,顧客のために働くということは,不満や混乱や無力感などから解放することである.顧客自身が支配し権限があると感じさせることである.だが,賢い販売員にとっては,この正反対が正しい.(Norman 2004, p. 122)

つまり,サービスにおいては,人間中心設計の正反対が正しいということになる.相互主観性の観点から言えば,客が価値を見出すのは,自らが同一化したいと考えるような場で,何らかの自分を他者に示すことである.しかしこのような自分は,その客にとっては単に満足した主体ではなく,むしろ現実の自分を否定し,新しい自分を獲得するような形のものなのである.ここで客が「脱中心化」される.つまり客とは確固として中心のある主体ではなく,否定され,ずらされた動きそのものである.

これを言い換えるとサービスをデザインするとき,ユーザーが価値を見出すような文化を作り上げる必要があるということになる.ユーザーは自分の日常と完全に一致するような文化には価値を見出さないだろう.ユーザーは自分がよく知る日常の文化ではなく ,よく知らず自分が不安にさらされるような文化に価値を見出すのである.その瞬間に客はその文化の中で,不安を抱いたまま何らかの脱中心化された自分を示そうとするのだ. ディーゼルの店に威圧感があるのはそのためである.

我々が主観性の前提に立つならば,このような威圧的なデザインは意味をなさない.単に一人のユーザーが主観的に望ましいと思うものが,一方的に与えられればいいのである.しかし,相互主観性の前提に立つならば,そのユーザーは既にサービスという事象に巻き込まれていることに留意しなければならない.この状況において,ユーザーがサービスの価値を判断するということは,そのサービスに含まれた自分の価値をも判断するということにもなる.すなわち自分はどういう人間かということを問うことになる.このようなサービスを実現するためには,人間中心設計とは「正反対」の,人間を脱中心化する設計を目指さなければならない.そこではユーザーはサービスの入力要素として既に決定されているのではなく,ずらされて,別のものに変容していくような存在として捉えなければならない.つまり,ユーザーはサービスの結果なのだ.

4. サービスデザインの実践

ここまでで,我々が考える一般的なサービスデザインの言説にまつわる問題点を主張してきた.おそらく次の関心は,実践において相互主観的な事象であるサービスをどのようにデザインすればよいか,そこに確立された具体的な方法論はあるか?という点に移るだろう.残念ながらこの問いに関して明確な答えはないというのが現状である.一方で我々はこれまでに京都大学デザインスクールのプログラムの一環でサービスデザインのプロジェクトを企業と共に行ってきた.それらのプロジェクトにおいて,我々は手探りではあるが本論で述べてきたサービスの理論的な前提に沿ったデザインを試みてきた.

そのうちの1つにモスバーガーなどのファストフードと運営する株式会社モスフードサービス様のご協力のもと行ったプロジェクト,ファストフードのサービスデザインがある.紙幅の都合から詳細な内容は省略するが(活動の詳細は2015年のサービス学会国内大会にて発表済みである),この取り組みで我々がデザインしたのは,これまでには起こり得なかったインタラクションを起こすことで,そこに関わる個人が,一体どのような人であるかが問題となるような仕掛けであった.それは合理性の追求のため,予測可能性,匿名性を高めた画一的なサービスの代表格であるファストフードのサービスとは正反対のコンセプトである.

プロジェクトにおいては,当然ながらユーザーや店員がどのようにそのサービスに関わるか,またそれが円滑に提供されるためにはどうすればよいか,といったサービス全体の仕組みも議論した.その際にはサービスブループリントやカスタマージャーニーマップなどといったサービスデザインに関わる手法もツールとして役立った.

しかし,やはりそれがサービスデザインの中核や革新性であるとは思えない.我々は決して現場のサービスの改善,改良,またユーザーにとって具体的なポジティブな体験のデザインといった議論からスタートし,それを目標とした訳ではない(もちろん明らかに不快でネガティブなものをデザインしようとした訳でもない).あくまでもユーザーを含め,そのサービスに関わる人々が自己を示し合う新しい相互行為の場のデザインが我々の目的であった.残念ながら幾つかの理由から結果的にこのデザインが採用されることはなかったが,それでも1ヶ月近い実店舗でのトライアル期間を通じ,実際にサービスを利用したユーザーのフィードバックからはそれなりの手応えを感じることができた.

無数にある選択肢のうち,我々のこのデザインが正解であったと主張する訳ではないし,取り組みから2年近くが経過した今でも具体的な方法論を示すところまでには至ってはおらず(そもそも具体的なフレームワークのような方法論の確立など本当に可能であろうかという疑問もあるが,その議論はまたの機会に譲りたい),実践における我々のサービスデザインの取り組みにはまだ曖昧な部分があると言わざるを得ない.しかし,やはり相互主観的なレベルの事象であるサービスをデザインする際に,ユーザーの主観的な体験という概念に捉われてしまっては,サービスデザインの今後の発展,議論の余地は著しく損なわれることになるということだけは繰り返し主張しておこう.

5. おわりに

本論文では我々のサービス研究における理論的視座からサービスデザインという営みの再解釈を試み,サービスデザインにおける「体験」や「共創」といった一般的な概念が孕む問題点を浮き彫りにした.結果的にサービスデザインに対して,批判的な主張をしているように映ったかもしれない.しかし,それはひとえにサービスデザインの革新性と発展の可能性を信じているが故の批判である.我々が危惧しているのは,サービスデザインを議論する際に,その前提となるサービスの理論が不足していることである.プロダクトやインタラクションのデザインから,その対象を相互主観レベルの事象であるサービスへと転換するには,同様にデザインの理論や方法論も大きく転換されなければならないはずである.現状においてそのような認識なりや議論なりが不足しているように感じる.

サービスデザインはこれまでのデザインの延長ではなく,それと「正反対」のデザインなのである.その意味で,サービスデザインは,単に従来の人間中心設計の方法を拡大した対象に適用することではなく,独自のデザイン方法論を持たなければならない.

著者紹介

  • 山内 裕

京都大学経営管理大学院准教授.京都大学情報学研究科修士課程修了,情報学修士.UCLA Anderson School of Management博士課程修了,Ph.D. in Management.Xerox Palo Alto Research Center(PARC)研究員,京都大学経営管理大学院講師を経て,2015年より現職.デザイン学大学院連携プログラム(デザインスクール)プログラム担当者.

  • 佐藤 那央

京都大学大学院情報学研究科博士後期課程所属.京都大学デザイン学大学院連携プログラム一期生.2009年3月,早稲田大学理工学術院先進理工学研究科修了.4年間メーカーにて研究開発職に従事した後,2013年4月京都大学経営管理大学院入学.2015年3月同修了.2015年4月より現所属に至る.日本学術振興会特別研究員(DC2).

参考文献
  •   Bakhtin, M. M. (1963). Problems of Dostoevsky's Poetics (Russian). Moscow: Khudozhestvennaja literature.(望月哲男,鈴木淳一訳 (1995).ドストエフスキーの詩学.筑摩書房.)
  •   Norman, D. A. (2004). エモーショナル・デザイン. (岡本明,安村通晃,伊賀聡一郎,上野晶子訳)新曜社.
  •   Norman, D. A. (2005). Human-centered design considered harmful. Interactions, 12(4), 14-19.
  •   Norman, D. A. (2013). The Design of Everyday Things. New York: Basic Books.
  •   Polaine, A., LØvlie, L., and Reason, B. (2013). Service Design, Brooklyn: Rosenfeld Media.(長谷川敦士訳 (2014).サービスデザイン.丸善出版.)
  •   Stickdorn, M., and Schneider, J. (2011). This is Service Design Thinking: Basics - Tools - Cases (1st ed.). BIS Publishers. (長谷川敦士,武山政直,渡遺康太郎訳 (2012).This is Service Design Thinking. BNN.)
  •   山内裕 (2015).「闘争」としてのサービス—顧客インタラクションの研究. 中央経済社.
  •   山内裕,佐藤那央 (2016).サービスデザイン再考.マーケティングジャーナル,35(3), 64-74.
 
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