サービソロジー
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巻頭言
FinTechが変えるお金と社会
戸谷 圭子
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2019 年 6 巻 2 号 p. 1-2

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FinTechと総称される新たな金融サービスの動きでは,Techの側面,すなわちブロックチェーン・ビッグデータ・AI技術が取り上げられることが多い.しかしながら,技術はあくまで道具であって目的ではない.では,FinTechは何を目指すものなのか?

FinTechは近代社会が当たり前に認識してきた金銭という概念,それを扱う金融を技術の力を持って変えつつある.金融は取引に伴う価値の移動でしかない.言い方を変えれば,ある口座とある口座の残高データがリアルタイムで書き換えられさえすれば成立するのだ.中央銀行のみが通貨を発行でき,金融機関のみがその書き換えを許されてきたのは, その制度がある時代の技術制約の範囲内で,国と国民にとって都合がよかったからに過ぎない.

FinTech台頭の背景にあるのは, その制度の限界に気づきはじめた社会からの要請であろう.一つ目の要請は,満たされていない個人金融ニーズの充足である.自由化から30年経っても変わらない日本の金融業界の事なかれ主義に,怒りを通り越した諦めを感じていた企業や消費者は多い.日本をはじめ,成熟経済下の先進国ではカスタマーセントリックでなければ通常の企業は生き残れない.担保主義・上から目線の融資,極端なまでに使い勝手の悪いネットバンキング,手数料目当ての投信セールスなど,金融だけは長い間,例外でいられた.その時代もやっと終わる.謎のような業界ルールに縛られた既存金融サービスは,機会さえあれば喜んでリベンジをしようと思っているテロリスト顧客で溢れかえっていた.「むかつかない銀行」など,消費者の共感を呼ぶ理念を掲げるFinTechが歓声とともに迎え入れられたのも無理はない.

一方で,成熟経済下の顧客とは全く異なるニーズが世界には存在する.二つ目は「金融包摂」である.移民や低収入で社会の底辺にいる住民が金融サービスを受けられないが故に,より貧困を極めていく.口座やクレジットカードと連動しなければ利用できないデジタルサービスは今後どんどん広がっていく.(ほとんど)全ての人が銀行口座を持てる日本ではこのニーズは意識されにくい.また,旧来のマインドセットのバンカー達にとっては,これまでこの市場は儲からないリスクの塊にみえてきたはずだ.しかしながら,見る角度をかえれば,世界中に膨大な潜在ニーズの存在するブルーオーシャンである.収入の二極化や移民の増加は日本でもすでに起こっている.新技術についていけない高齢者も増える.認知症などで自己意思決定ができない人に変わる法定代理人制度の不便さの改善も必須になるだろう.我が国でも金融包摂は大きな新市場と認識され始めているのだ.

企業金融分野のニーズも変化している.成熟経済といえば聞こえはいいが,既存金融サービスにとっては市場の縮小である.モノを作り続けるのではなく,モノを使い続ける社会を人々が望むようになった結果,企業の設備投資需要は古い設備のメンテナンスや部分的なリニューアルに縮小していく.日本やドイツの製造業は早急な業態変容を迫られている.サステナビリティを志向する社会に適応するための投資,情報技術を活用するための投資などが今後の企業資金ニーズの中心となるだろう.とはいえ,時にそのような大きな戦略転換の意思決定は中小企業には荷が重すぎる.企業顧客がいまもっとも必要としていることは,知らぬ間にルールが変わってしまった世界の中で,取り残されないために自社がどの方向に向かうべきかのアドバイスだ.全企業の99.7%を占める中小企業には戦略コンサルを雇う余裕はないし,雇えたところで百科事典のような報告書は役に立たない.三つ目のニーズは企業顧客に対する経営サポートである.

このような新たなニーズに対して,バブル崩壊に懲りた後はお上の言いなりでのほほんと暮らしてきた既存の金融機関はまったく答えられていない.皮肉な,そしてやや滑稽なことに,日本の金融サービスの改革は,これまでずっとそれを阻んできた金融庁に負うところが大きい.この数年,金融庁は官庁ではタブーである過去の政策に対する自己否定を厭わず,「重箱の隅をつつく」検査の廃止,企業融資における事業性評価,新規参入を促す銀行代理店制度の改革,社会的意義を持つ金融としてのESG投資推進など,金融業界に改革を強いてきた.一方,金融業界が喜んでこの千載一遇の機会を活かそうとしているかといえば,むしろいやいや受け入れているように筆者にはみえる.変革といえば,いつも思い出すのが,ある地銀の役員会での出来事だ.研究開発してきた新サービスを承認するか否かの議論で, 「で、どこがやってるの?」という質問に,担当者が胸を張って「業界初です」と答えた. それに対して,ある専務が「他行が複数導入して成功することがわかったものを採用するのが我行の戦略だろう」と発言したのである. 肩を落とす担当者と,思わず笑ってしまいそうになった筆者をよそに,役員諸氏は大真面目で他行を待つべきかどうかを議論し始めた.そんなことをしている間に世界は動き,金融の外の業界も動いた.そして台頭してきたのがFinTechである.既存金融機関は慌ててFinTechと手を組もうとしており,顧客基盤のまだ弱いFinTechも便乗しているが,いつまでそんな蜜月が続くことやら.

とはいえ,日本ではFinTech普及のスピードは英米に比べれば遅い.他の多くの要因はさておき,顧客の金融リテラシーの低さもその一因であることは明らかだ.サービス学の関係者なら既知のとおり,サービスには顧客の参加,顧客の能動的資源提供が必須であり,企業が一方的に価値を創ることはできない.そう考えると,FinTechは様々な社会課題の解決に役立つ一方で,新たな格差を作り出す可能性も十分持っている.FinTechが提供する金融サービスの仕組みやその結果を理解していなければ,購入や利用が容易になった分,バブル崩壊やリーマンショックがより大規模に繰り返されたり,金融包摂が弱者の救済ではなく新たな搾取の手段となったりする可能性は否定できないのである.

この状況でアカデミアの役割は大きいと筆者は考えている.昨年学術会議からサービス学の参照基準(学部でサービス学の教育をする際の指針)が設定された.そこでは,共創社会においては全ての消費者がサービス学の素養を身につけておかなければならないことが述べられている.サービスエコシステムのなかでのFinTechを含めた金融のあり方を,その様々な潜在リスクも認識した上で,われわれはこの大改革を推進し,または,受け入れていく必要があるだろう.

著者紹介

  • 戸谷 圭子

明治大学専門職大学院 グローバル・ビジネス研究科 教授

 
© 2019 Society for Serviceology
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