サービソロジー
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特集:ツーリズムと地域資源
まちのストーリーを,スマホ×音声でつなぐ新たな観光サービスへの挑戦
青木 真咲
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2021 年 7 巻 2 号 p. 54-56

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1. はじめに

観光とは,まちに埋もれた光を観ること,照らすこと.私は研究者でも特定分野の専門家でもなく,静岡というごく平均的な地方都市の地域課題に向き合い,埋もれた地域資源を「光」に変えるべく,日々奮闘している事業者である.地域で求められる観光の形や地域資源の磨き上げを考える中での,私の経験や取り組みをご紹介する.ほんのわずかでも,読者の方々の気づきや今後の地方活性に向けたヒントになれば幸いである.

2. 地域にほれ込む

静岡市に降り立ったのは5年前の春.前職の新聞記者時代の転勤で出会ったこのまちが,私に働く意味と本当の豊かさを教えてくれた.1年中温暖で真っ青な空が広がり,都市機能がコンパクトに集まる静岡駅から30分で海も山も星空も満喫できるまち.こうした豊かさが生むのだろう,道行く人たちのゆったりとした空気や自然な優しさ,人と人のちょうど良い距離の近さが,東京の証券街で血眼になってネタ集めをしていた私に心地よく沁みた.3年間の期限付きの地方暮らしの予定だったが,このまちをより良くする役割を与えてもらえるなら,私の人生は100%その方が幸せだと新聞社の退職を決めた.こんなに豊かなまちの魅力を世界中に知ってもらわないともったいない,それが常に現在の仕事の原点にある.

図1 静岡市から見える富士山

3. 全員「副業」での起業

このまちは素晴らしい,でも課題だらけだった.首都圏からの近さを武器にできず人口流出や高齢化が進んでいること,自動車関連をはじめとした産業の大きさや幅広さが裏目に出て観光産業が育たずにきたこと.その結果,だれよりも地元の人達がまちを誇りに思ったり魅力を感じたりすることが少なく,来訪者へのおもてなしができない.

日本全国で見れば,コロナ前まではインバウンド観光客が急増し,個人旅行化が進み地方都市への観光資金が流入するチャンスがあったが,現地の体制が整わず機会を逸してしまっているのが現状だった.変化の早いこの時代,今なんとかしないとまちが衰退してしまう,そんな想いで共感した20代30代の4人で静岡のまちの魅力を伝える取り組みを始めようと決めた.ただ,全員経営者や会社員といった本業を持つ中で,それをすぐに手放すことはできない.地方においてスタートアップ人材を集めるのは至難の業,だったら副業で創業しよう,と,全員副業でまちの魅力発信に向けた事業「Otono(オトノ)」を立ち上げた.

図2 地方観光における機会と課題

4. さあ,音声でまちを劇場化しよう

Otonoは,スマホで楽しめる音声ガイドサービスだ.まちが持つ魅力は,訪れて写真を撮って人気グルメを食べるだけではなく,そこにある「ストーリー」を知ることで一層拡大する.新聞記者として,県内様々なスポットに訪れては,その地の責任者や作った人から直接,経緯や歴史を聞かせてもらった私が,この地にほれ込んだ理由もそこにあったのかもしれない.観光施設や文化遺産,さらに商店街や街道が劇場や小説の舞台になったように,音声で楽しめるストーリーを聴きながらまちを巡ることができたらこのまちをもっと好きになれる,そんな世界観を目指して創業した.

ありそうでなかったサービスだが,海外の超人気観光地にヒントがあった.

アメリカのサンフランシスコ,元監獄だった「アルカトラズ島」.船で渡った島の旧牢屋の建物に入ると,各言語の音声ガイドが提供され,スポットに合わせて囚人や看守が口々に話し出し,まるで映画の中のような世界観を楽しめる場所である.口コミには「音声ガイドがいい」「他にはない体験」と,まさに音声ガイドがこの場所の体験価値を作り出している.

ユニークな歴史文化を持つ日本の地方都市こそ,その地に根付くストーリーを,歴史上の人物やキャラクターが解説することでぐっと価値が高まるはずだ.

私たちは,静岡市唯一の世界文化遺産「三保松原」で取り組みを始めることにした.

5. 地域×クリエイター

「三保松原」と言ってピンとこない方でも,銭湯の壁絵になっている松と海と富士山,もしくは「暴れん坊将軍のオープニングシーン」と聞くと情景が浮かぶ方も多いかもしれない.さらにさかのぼれば浮世絵や水墨画と,長きにわたり富士山信仰とのつながりのある場所として,多くの芸術家や作家が描いてきた「芸術と信仰の源泉」の地である.日本人の「人を信じる心」を説く羽衣伝説は,能の演目にもなっている.ただ,そうしたストーリーが伝わらないまま,訪れた当日に富士山が見えなければ,観光客にとってはただの「がっかり遺産」,満足度の低い観光地になってしまう,そんな課題を抱えた場所だった.この地域の魅力を臨場感をもって伝えるためには,この場所をよく知る地域の専門家や行政への取材だけではつまらない.我々が目指した「音声による劇場化」の世界観に必要なのは,羽衣伝説の情景を音声で表現できるクリエイターだった.

三保松原を起点に,現在静岡市内の商店街や水上バス,歴史的な宿,ミュージアムといった場所でOtonoが導入されつつある.制作過程は,クリエイティブディレクターを統括役に,外部から募ったシナリオライター,声優らでチームを作り,できた音源にエンジニアが世界観を作り出す効果音やBGMを加えるというもの.半ば映画やドラマの撮影のように手のかかる作業ではあるが,実はこうしたクリエイター集団と地域観光の「掛け算」こそ、魅力に気づけずにいた地域に「外の目」を入れる仕掛けでもあった。プロジェクトごとにゆかりを持つ,または興味関心を持つクリエイターチームを組成し,多様な視点を加えながらワクワクする観光地を作る,そんな思いで取り組む日々だ.

図3 Otonoは地域とクリエイターをつなぐ
図4 三保松原で提供する音声サービス

6. 「副業必須」が生む地域への新しい風

リソースや時間が足りなかった結果として生まれた「副業起業」だったが,会社として独立した今も,「副業必須」を人材理念の1つに掲げ,場所を問わず様々なスキルや視点をもって関わる人が株式会社Otonoをつくっている.海外のクリエイターから得た助言を制作物に落とし込むこともあれば,学生の視点で地域資源を発掘しツアーを制作するゼミ講座として導入された例もある.

静岡県の常葉大学経営学科では2年前,「まちの観光資源を音声でつなごう」と,静岡市の観光キャラクターに声を付けて主要観光地をつなぐ音声ツアーを組成.静岡県立大学経営情報学科では今年度,三保エリアの活性化プロジェクトを立ち上げて地域資源の作り手である農家や飲食店へのフィールドワークやツアーづくりを行っている.こうしたまちの「人の声」を音声ガイドで楽しめるサービス展開にも生かせそうだ.学生視点での「おもしろい」「楽しそう」も従来の観光サービスにおいては欠けていた「外の目」かもしれない.

偶然にも2020年,新型コロナウイルスの感染拡大により,日々の仕事のあり方,観光の形が大きく変化した.リモートワークが普及したほか,接触を回避する行動様式が広がった.人のガイドによる団体ツアーを前提とした観光から,少人数でもデジタル技術を活用して楽しめる観光が求められ始めている.遠隔での事業推進をベースとしていた我々にとっては,違和感なくこの時代を迎えられた.スマホの音声ガイドでまちなかを回遊できるOtonoのサービスは引き合いを受けることが増えたこともあり,この度の打撃を次の観光をつくるある種のチャンスと捉えている.AIスピーカーの普及なども進み,音声認識市場は拡大が予測されている.

創業して約3年,音声と観光の可能性が広がる一方で,どれほど音声がおもしろくても地方観光が一変するわけではないと痛感した.AIやVRといった様々な革新を地方も取り込む必要があるが,ソフトだけでは地方は潤わない.Otonoというサービスでできた地域と来訪者の接点を,まちをつくる「人」へ直接の接点につなげるしかけづくりが必要だ.目指す観光の形の現実まではまだまだ道半ばではあるが,「Otonoの音声を楽しむために,三保松原に来た」と,このまちに多くの方々が訪れ,地域の人との出会いや対話を通じて「また来たい」となるような,まちに光を照らすサービスづくりに向けて挑戦を続けたい.

図5 音声認識市場の拡大 (日本能率総合研究所 2019)

著者紹介

  • 青木 真咲

株式会社Otono代表取締役社長.日本経済新聞社入社,静岡への転勤をきっかけに,自然や歴史文化の豊かさにほれ込み退職,定住.2018年,「観光地を劇場化」をコンセプトにドラマ型音声ガイドを手掛ける株式会社Otonoを創立し代表に就任.静岡市を拠点に音声ガイド事業のほか,観光IT支援,観光人材育成や商品開発事業を展開.

参考文献
 
© 2021 Society for Serviceology
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