史学雑誌
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一九三〇年代日本における農村の市街地化と土地問題
兵庫県武庫郡武庫村を事例に
出口 雄大
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2018 年 127 巻 1 号 p. 38-61

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抄録

本稿は、兵庫県武庫郡武庫村生津で一九三〇年代後半に実施された阪神急行電鉄株式会社による武庫之荘住宅地の開発を事例に、その前提となる開発主体による土地買収に対して、開発対象地を所有・耕作する地主・小作人ら諸階層が如何なる対応を迫られ、最終的に如何なる帰結を以て市街地化に至ったのかという点を、非開発対象地を含めた地域社会の変容との関連で検討した。生津では、競馬場の移転問題を契機として、小作人らが一九三一年に全農生津支部を結成し、一九三〇年代前半期を通じて小作争議を展開した。阪急電鉄による土地買収に際しても、約三年に及んで展開した小作争議の蓄積を前提に、生津支部の小作人らは阪急電鉄の測量隊と物理的な衝突も辞さない徹底した対応を採ることで、一時は阪急電鉄から開発の中止が提案された。しかし、最終的には警察調停という強制的な手法によって、生津支部の小作人らは開発対象地における耕作権の維持はもとより、要求した離作料とは程遠い条件での妥結を余儀なくされた。こうした終結を以て、生津一帯の住宅地開発事業が着手に至ったことを明らかにした。それに対して、阪急電鉄の土地買収に対する地主らの対応は、阪急電鉄の開発対象地か否かという点で明確に分かれた。重要なのは、生津での所有地面積の大きい地主らが、開発対象地は売却した一方で、非開発対象地は一切売却せずに従前通り農地として利用した点である。すなわち、生津では、小作人らが一貫して農業の継続を志向しただけでなく、こうした農業の継続を志向した地主らの存在によって、阪急電鉄による生津の開発は、さしあたり開発対象地であった武庫之荘住宅地という空間的に限定された変容にとどまり、非開発対象地を含めた生津全体としての本格的な市街地化は、一九六〇年代以降に持ち越された点を明らかにした。

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