心電計の日本への渡来は意外に早く,明治44年,当時の3帝国大学,すなわち東大,京大,九大の生理学教室にほほ伺時にエデルマン型弦線電流計が設置された.その後,しばらく空白期間があり,大正末,昭和初期になって,ようやく各地の医科大学,少数の市中有力病院に輸入品が置かれた.やがて大正末年より国産化の試みが起こり,昭和10年前後に国産真空管式心電計が完成し市販されたのを契機に全国基幹病院に普及し始めた.本稿ではそのような心電計の渡来と普及の歴史を,旧い文献を参照して明らかにする.また日本の心電図学の黎明を先駆けた最初期の文献と「電気心働図」から「心電図」に至る呼称の変遷についても言及する.心電計と近代循環器学の生成・発展は表裏の関係にあり,心電計の渡来史は,同時に日本循環器学の発展史でもある.