多文化主義にかんする思想は元来の文脈から切り離されて伝播し、しばしば、普遍的に妥当しうる「理論」として受容・検討されてきた。だがこれらの「理論」は、特定の時代の特定の社会で育まれた政治思想であり、その妥当性を正当に評価するには文脈化された検討が欠かせない。こうした考えにもとづき、本稿はとくにウィル・キムリッカのリベラル多文化主義思想を、それが元来応じたカナダ先住民政治の文脈に位置づけなおして検討する。
この検討にあたって本稿は、キムリッカの思想を批判的な先住民思想と比較する。彼が応答した政治状況に対し、先住民の思想家たちはそれを異なる角度からとらえ、応答してきた。キムリッカの思想をリベラリズムの枠内のみで検討するのではなく、異なる伝統に立つ先住民思想と対比させることで、その限定性はより鮮明になる。本稿ではとくに「再起」と呼ばれる先住民思想、なかでもタイアイアケ・アルフレッドとリアンヌ・シンプソンの思想に着目し、かれらとキムリッカ、3 者の思想を比較する。比較の軸として、①植 民国家によって制度化された「承認の政治」、②ジェンダー化された規範による個人の自由の制約、の2点に対する応答の相違に焦点が当てられる。この「政治思想の対話」を通して提起されるのは、単一の価値世界の内へと多元性を押し込む「主義」や「理論」の追求から、価値世界自体の多元性と向き合うことへの、文化的多元性をめぐる議論の根本的な方向転換である。