2019 年 63 巻 1 号 p. 119-128
桜島における治山事業は,鹿児島県が防災工事として昭和37年(1962年)から昭和50年(1975年)まで実施してきた。その間,火山活動の活発化に伴い,旧桜島側の河川では年数回の土石流の発生があるとともに,山腹の崩壊も年々拡大してきた。 活動火山対策特別措置法成立の昭和48年(1973年)から昭和50年までは桜島全域を対象に国の民有林補助治山事業を実施し,昭和51年からは国による直轄事業を旧桜島町内において実施してきた。 標高1,100m の山頂から標高900m までの区間は絶え間ない火山噴出物の供給・急峻な地形・苛酷な気象条件等の影響で大規模なガリーを伴った裸地が多く立入禁止区域となっている。その下方の標高500m付近まで深くえぐられた火山特有の急峻な侵食渓を呈し,土砂生産の発生源となっている。 この土砂は発生源から短い距離で錦江湾に流入し,その河川の流出口に集落が存在している状況である。 一般的な治山工事対象地と異なり土砂の発生源をそのままの姿で事業を進めなければならない特殊性があり,桜島地区の治山計画を考える際の前提条件となっている。