水利科学
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一般論文
多摩川近代改修の夜明け前
──それぞれの見た有吉堤騒動──(その1 )
和田 一範
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2021 年 64 巻 6 号 p. 62-104

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抄録

 多摩川左右岸築堤争いの大騒動,有吉堤騒動においては,多摩川両岸の地域住民,各村役場,各郡役所,県,府,両議会議員,帝国議会議員,内務省など,様々な当事者たちが,それぞれの役割の中で大奮闘をしている。これら立場を超えた様々な当事者たちが,それぞれの視点から一連の顛末をどのように見ていたか,そしてどのような行動をとったかは,防災における自助・共助・公助の連携を考える上で,重要な位置づけを持つ。

神奈川県立公文書館所蔵の飯田家文書(ID2200710116多摩川筋盛土工事行政訴訟,ID2200710134同名)には,これら当事者たちが,自らの視点で,一連の騒動を経緯として記した,生々しい記述がある。

大正6 年(1917年)8月21日付で,神奈川県土木課の河川管理吏員から横浜区裁判所検事局に提出された,五十間盛土事件の説明文書には,「多摩川筋御幸村築堤沿革書」が添付され,アミガサ事件(大正3年〈1914年〉9月16日)の発生から,有吉堤建設の騒動を経て,これが正式な河川堤防として内務省の認可を受け,大正5年(1916年)10月19日に残事業が竣工するまでの経緯を説明している。ここに,多摩川を管理し,地域の防災をつかさどる,神奈川県の行政官としての見解を見てとることができる。

同じく大正6 年(1917年)9月4日付で,御幸村有志秋元喜四郎氏から,横浜区裁判所検事局に宛てた「上申書」には,地元住民の立場から,アミガサ事件の発生から有吉堤建設の騒動を,詳細に説明するとともに,有吉堤騒動の決着に際しての平間の渡し下流150間の旧堤(突堤)撤去の扱いと,これを不服として,その後,水防用資材としての土の仮置きと称して五十間の盛土を行った経緯を述べている。ここに,一連の騒動に関しての,地元住民としての見解を見てとることができる。

さらに,国立国会図書館所蔵の「大正五年公文雑纂,多摩川築堤問題顚末」は,内務省土木局の担当技師の立場から,一連の騒動の顛末を公文書のかたちでとりまとめたもので,いわば河川行政の所管官庁としての公式見解が述べられている。

本稿では,これら3件の文書を,活字にして紹介するとともに,比較対比をすることによって,有吉堤騒動における,各者の連携・協働とすれ違いについて分析をしたい。防災の主役,自助・共助と公助との連携,さらには公助間の連携にかかる,多くの教訓がそこにはある。

アミガサ事件と有吉堤,多摩川直轄改修への道の一連の騒動にみる,自助・共助・公助の連携・協働とすれ違いの中には,特に,自助・共助と,公助との連携・協働が重要であり,あわせて,地域住民に寄り添った公助間の連携のあり方が重要であるという点において,現代の防災に与える大きな教訓が見いだせる。

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© 2021 一般社団法人 日本治山治水協会
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