抄録
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林生態水文学研究所(以下,生態水文学研究所)は,1922年9 月1 日に東京帝国大学農学部附属愛知県演習林として設置された。都合,生態水文学研究所は100年以上に及ぶ歴史を持つことになるが,1920年代からの長期水文観測に特徴づけられる森林水文学の教育研究施設(演習林)といえる。
塚本(1992)によれば,森林水文学や砂防学の原点には,水土保全のための森林の水源涵養機能や土砂流出防止機能の解明といった課題があり,後述するように明治中期頃から社会的課題への対応に始まるという特徴がある。また,五味(2018)によれば,日本での森林水文観測は,1950年までははげ山の課題,1960年代は森林流域や斜面を対象とした水文プロセスの把握,1970~1980年代は土壌に着目した水文プロセスの把握,1990年代以降は研究対象や観測項目が多様化,水循環のプロセスの把握へと展開した。これらの研究を支えたものの1 つが長期観測であり,気候変動をはじめとした変動環境下における森林水文プロセスの変化などの研究では,長期観測データが今まで以上に重要になると考えられている。したがって,生態水文学研究所において継続されている長期水文観測は,過去においても今後においても重要なものと考えられる。
これまでの森林水文学に関する教科書的体系書(諸戸1938, 荻原1953,塚本1992等)においても,生態水文学研究所に関わる研究成果が掲載されており,また,伏谷(1974)による『林業技術史』第4 巻「防災編」では,日本初の本格的な量水観測試験地であり,多大な成果を上げていると評価されているように,森林水文学・砂防工学への貢献は少なくないと思われる。このように生態水文学研究所は,20世紀において高く評価されてきた水文観測に関わる教育研究施設であり,長期水文観測データがますます重要となる中で,改めて生態水文学研究所の成果を経時的に整理することに意義があると思われる。そこで,本稿では,治山治水と深く関わる,水文・土砂に関するものを中心とした生態水文学研究所の成果のレビューを行い,森林水文学・砂防工学への貢献についての議論を行う。
なお,生態水文学研究所は,愛知県演習林,続いて愛知演習林という名称を経て,2011年よりの名称である。本稿において基本的には生態水文学研究所と表記する。ただし,文脈によっては愛知県演習林,ないし愛知演習林と表現する場合もあるが,全て同一組織を指すものである。