2023 年 22 巻 1 号 p. 12-24
We estimate the inventory of tritium in two sea areas corresponding to coastal and offshore ones around Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant (1F) on the basis of the measured seawater tritium concentrations monitored constantly from 2013 to Jan. 2021 by using the Voronoi tessellation scheme. The obtained results show that the offshore area inventory and its temporal variation amount correspond to approximately 1/5 and 1/50 of that of the treated water accumulated inside 1F, respectively. These results suggest that the amount of tritium included in seawater as the background is non-negligible in evaluating the environmental impact of releasing the accumulated treated water into the sea area. We also estimate the offshore area inventory before the 1F accident and find that it had exceeded the 1F stored inventory over 30 years from 1960s to 1980s, being approximately 4 times larger in the peak decade 1960s. This finding means that we had already experienced more contaminated situations over 30 years in the past compared with the conservative case emerged by just releasing whole the present 1F inventory. Here, it should also be emphasized that the past contamination situation was shared by the entire world. We further extend the estimation area to include the offshore area from Miyagi to Chiba Prefectures and find that the average area inventory is now comparable to half the present 1F inventory. Finally, we estimate the internal dose per year by ingesting fishes caught inside the area when the 1F inventory is added only inside the area and kept there for one year. The result indicates that it approximately corresponds to 1.0 × 10−6 of the dose from natural radiation sources. From these estimation results, we find that all the tritium inventories stored inside 1F never contribute to significant dose increment even when it is instantly released into the area.
東京電力ホールディングス(東電)・福島第一原子力発電所(1F)事故による放射性物質の環境中への放出により,近隣住民への避難が勧告され帰還困難区域等が設定される事態となった1)。1F事故以降,住民帰還を含むその地域一帯の復興は,日本社会が取り組むべき大きな課題となっている2)。
復興に際し,1F廃炉はその要であり,順調な進捗が求められるが,様々な課題が発生してきた。その1つとして,事故直後から,原子炉建屋内への地下水流入により発生する汚染水がある。政府・東電は,その解決策として,多核種除去設備(Advanced Liquid Processing System, ALPS)等の浄化設備3)を開発し,セシウムやストロンチウム等の除去に成功した。しかし,トリチウムの分離は困難であり,1F敷地内にトリチウムを含む処理水等が累積貯留されてきた4)。その貯留水が,事故後10年を経て膨大な量(2021年5月時点:約126万m3)5)となり,最近では,廃炉の進捗にも影響するとして,大きくクローズアップされている6)。
この貯留水に対し,2021年4月,政府はその処理を海洋放出にすると発表した7)。その発表には,多核種除去設備等処理水の取り扱いに関する小委員会による処分検討報告8)の他,原子力規制委員会9)およびInternational Atomic Energy Agency(IAEA)10)の提言が背景にあると考えられる。
この政府発表後,海洋放出に対する反対意見が相次いで多方面から表明され11~13),大きな社会的かつ国際的な議論の対象となっている。しかし,その論点は,必ずしも明確ではないことが指摘されており14),科学的議論はいまだ十分ではないと考えられる。例えば,1Fがこれまでに累積貯留しているトリチウム量(他の放射性元素も含む)やその環境へのインパクトを推定する研究の他15,16),トリチウムを放出した場合の移流・拡散の経時変化をシミュレーションにより分析評価する研究17~23)等が相次いで発表された。しかし,1Fの前面海域にて,これまでに観測されたトリチウム濃度をもとに,その挙動を詳細に評価する研究24,25)は少ない。以上,福島前面海域にすでに存在するトリチウム量やその経時変化をもとに,今後放出するトリチウム26)の環境影響を科学的に評価する等の研究は十分ではなく,科学者側からの一層の情報発信が必要と考えられる27,28)。実際,放出されるトリチウムにより,海域のトリチウム濃度は上昇すると考えられるが,すでに存在するトリチウムに重畳する形で,その濃度は決まるため,1F前面海域にすでに存在するトリチウム量とその変動の評価が科学的に重要となる。
本論文では,上記のような背景の下,1Fにてこれまで累積貯留してきたトリチウム量とその放出が1F前面海域にどのような影響を及ぼすのか?という視点に立ち,これまでの当該海域での海水のモニタリング結果をもとに,現在そして過去に存在してきた福島沿岸・沖合(下記で示す一定の1F前面海域)のトリチウム量とその経時変化等に着目し,得られた科学的知見をまとめる。
上記の海域でのトリチウム量の推定に当たっては,筆者らが,これまでに1F港湾内の放射性核種のインベントリーを推定してきたボロノイ分割法を採用する。本手法を用いた1F事故によるトリチウムの推定流出量(事故後2011–2020年)については文献29)にて報告済みであり,今後は,貯留水の放出に加えて評価すべきであるが,2020年現在,1F港湾からの流出量は事故時と比較し大きく減少したことを付記する。
本論文の主たる内容(推定評価項目)は,以下の3つである。
以下,本論文の構成を記す。次章(第II章)にて,1F事故後の福島沿岸および沖合でのモニタリング体制を示した後,モニタリング結果から推定される沿岸および沖合でのトリチウムの存在量を報告する。特にモニタリング地点より定めた一定の福島沖合海域でのトリチウムの存在量と1F累積貯留量を比較する他,過去(事故前)の推定存在量との比較結果も示す。第III章では,推定する範囲を宮城県から千葉県までの沖合も含めて拡大し,現在の推定存在量と,そこでの漁獲による魚食を介した内部被ばく量の経時変化について議論する。最後の第IV章は,得られた推定結果のまとめと結論を記す。
本II章では,1節にて福島沿岸および沖合のトリチウムのモニタリング体制について記し,代表的測定地点でのトリチウム濃度の経時変化を示し,その特徴を議論する。2節では,そのモニタリング体制の下,沿岸および沖合のトリチウム量を推定可能とするボロノイ分割法を説明し,各々の海域でのトリチウム量を推定する。3節では,沿岸および沖合のトリチウム量の経時変化を示し,それらの変化傾向とその要因について考察する。4節では,沖合のトリチウム量と1Fの貯留量を比較する他,1960年代から1F事故時までの存在量の変化について言及し,現時点との比較を行う。
1. 福島沿岸および沖合のトリチウムモニタリング体制と観測濃度の経時変化傾向1F事故後,2013年より原子力規制委員会(NRA)により開始された福島沿岸および沖合のモニタリング地点30,31)をFig. 1(宮城県・茨城県・千葉県沖も含む)に示す。赤点では,トリチウムとセシウム(Cs-134とCs-137)の両者が測定され,緑点は,セシウムのみの測定点である。Fig. 1からわかるようにトリチウムのモニタリングは,福島の前面海域である沿岸および沖合に限定されており,沿岸は2013年11月から月に一度,沖合は2013年5月より3ヵ月に一度の頻度にて始まった。なお,Fig. 1左図は,1F近傍の福島沿岸を拡大したものであり,1F港湾を中心として南と北に各々,おおよそ10 kmに渡る領域内で集中的にモニタリングが行われている。なお,福島沿岸および沖合のトリチウムの検出限界値は,海水(北太平洋)のバックグラウンド値(0.05–0.07 Bq/L)を考慮し設定されており,検出限界値以下と発表された頻度は少ない。その頻度は,福島沿岸では開始時から2021年1月現在まで5回である一方,沖合では1度もない31)。したがって,モニタリングデータを用いて福島沿岸および沖合のトリチウム量を精度よく推定することが可能と考えられる。

Locations of monitoring points for seawater concentration of radioactive materials in the coastal and offshore areas around 1F, where green and red points, respectively, indicate monitoring points only for radioactive cesium (Cs-134 and Cs-137) and both radioactive cesium and tritium
[Map data: Esri, Intermap, NASA, NGA, USGS, GSI, Esri, HERE, Garmin, INCREMENT P, METI/NASA, USGS (Coastal Area), Esri, CGIAR, USGS, Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS (Offshore Area)].
次に,これらのモニタリング地点でのトリチウム濃度の経時変化をFig. 2に示す。Fig. 2(a)は,福島沿岸での経時変化であり,1F北側のM-101地点では,たびたび,スパイク状の変化が観測されている。これについては青山らによる研究報告がある24)。また,経時変化をモニタリング地点間にて比較すると,1F近傍ほど,濃度が高い傾向がみられたが,その差は2015年半ばから,わずかとなった。これは,2015年10月に海側遮水壁の閉合32)が行われ,1F港湾からの流出量が大きく減少したことが要因と考えられる29)。Fig. 2(b)は,福島沖合でのトリチウム濃度の経時変化である。沖合でも,2015年まで,1F近くの地点でわずかに濃度が高い傾向がみて取れたが,2015年以降,際立つ空間変化や経時変化はほとんど観測されていない。

Temporal variations of monitoring results of tritium concentration (Bq/L) in (a) the coastal and (b) the offshore areas
The time when the closure of sea-side impermeable wall occurs is specified. (c) is a comparison of those between the coastal and offshore monitoring results. The lines showing average values of both areas are given. [Map data: (a) Esri, Intermap, NASA, NGA, USGS, GSI, Esri, HERE, Garmin, INCREMENT P, METI/NASA, USGS, (b) GSI, Esri, HERE, Garmin, FAO, METI/NASA, USGS, Esri, CGIAR, USGS, (c) GSI, Esri, HERE, Garmin, FAO, METI/NASA, USGS, Esri, CGIAR, USGS].
Figure 2(c)は,福島沿岸の1地点(T-D5)と沖合の2地点(M-E3,5)の経時変化の比較である。これらの経時変化より,沖合の濃度の平均はおおよそ0.07 Bq/L,沿岸はおおよそ0.1 Bq/L程度であり,沿岸は沖合に比べ高い傾向を示すが,変動割合も大きく,1Fと陸(主に河川)由来のトリチウムの流入25,29)が主たる要因と考えられる。この沿岸および沖合の差とその要因分析については,青山ら24)と佐久間ら25)が議論している。この平均濃度の違いは,海洋放出による影響を考える上で重要である。
2. ボロノイ分割法による福島沿岸および沖合におけるトリチウム量の推定本節では,Fig. 1で示したモニタリング体制のデータをもとに,ボロノイ分割法を用いて沿岸および沖合のトリチウムの存在量を推定する。ボロノイ分割法33)とは,代表点を中心とし,隣接点との垂直2等分線からなる多角形(ボロノイ面)を形成し,対象となる領域を分割する方法で,海域の放射性物質の存在量を推定するのに簡単でかつ便利な手法の1つである34)。
Figure 3(a)は,モニタリング地点を代表点とし,ボロノイ分割法により定めた各ボロノイ面を示す。緑色で色付けしたボロノイ面は,放射性セシウムとあわせてトリチウムのモニタリングが行われてきた地点を含むボロノイ面であり,その他の面は放射性セシウムのみがモニタリングされてきた地点のボロノイ面である。これらの面に対し,濃度が深さに依存せず,おおよそ一定の場合は,測定された濃度に面積と代表深さ(モニタリング地点の水深とするが,海底地形変化が乏しく一様な勾配のある福島前面海域のような場合は,ボロノイ面内でのおおよそ平均深さとなる。なお,Fig. 3(a)の各ボロノイ面に記された数値はそのモニタリング地点の平均水深である)をかけることで,そのボロノイ面内のトリチウム量が得られる。ただし,濃度の水深プロファイルが存在量推定に有意な影響を与える場合,それを反映させる必要がある。

(a) Target areas in which tritium inventory is estimated by using Voronoi tessellation method. In the green color cells, seawater concentrations (Bq/L) of tritium and radioactive cesium (Cs-137 and Cs-134) are sampled, while only those of radioactive cesium are monitored in the other ones. The cells surrounded by the red line corresponds to Voronoi cells in the coastal area. The others do to those in the offshore one. The numbers indicate the sea depth (m) at the sampling points. (b) The depth profile model of tritium concentration obtained by fitting the measurement data (triangle points), in which 0~50 m concentration is given by the measurement data published by NRA
[Map data: (a) Esri, Intermap, NASA, NGA, USGS, GSI, Esri, HERE, Garmin, INCREMENT P, METI/NASA, USGS (Coastal Area), Esri, CGIAR, USGS, Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS (Offshore Area), (b) Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS, Esri, USGS].
各モニタリング地点での平均水深もあわせて記したFig. 3(a)からわかるように,沿岸域での水深は25 m未満であり,風波由来の乱流混合35)により濃度はほぼ一様と考えられる一方,沖合では660 mにまで達することから深度プロファイルを考慮する必要がある。本論文では,濃度の水深プロファイルとして,Kaizer et al.の報告36)(現時点に近い2012年の冬季で,かつ最も福島沖に近い地点の観測結果)をもとに作成したモデルを用いてトリチウム量を推定する。Fig. 3(b)に,そのモデルを示す。海表面から50 mまでは,規制庁により公開された海表面濃度(Fig. 2(b)にて表示)を用い,その変動を考慮する一方,50 m以深は,Fig. 3(b)に示す観測された水深プロファイルデータ(福島沿岸よりおおよそ500 km離れた地点にて測定:右内挿図参照)36)をフィットすることで得られるモデルを用いる。モデルでは,水深50–400 mまで線形に濃度が減少し,400 m以深はおおよそ一定濃度である。福島の沖合の海面での濃度は,ほぼ北太平洋のバックグラウンド濃度と等しく,変動も小さい他,深度プロファイルもほとんど北太平洋中緯度域にて変化しないと考えられ,上記モデルによる推定は妥当と考えられる。なお,上記の仮定は,4節にて示す,福島事故以前に測定された北太平洋上での深度プロファイルを含めた過去の多くの観測結果37)からも確かめられる。
Figure 4は,上記の水深プロファイルのモデルを用いて計算した福島沿岸(Fig. 4(a))および沖合(Fig. 4(b))の海域のトリチウム量の経時変化を示している(各対象海域は各内挿図の緑色で示したボロノイ面からなる海域である)。ここで,福島沿岸については,モニタリング地点の水深の最大値が24 mであることから,上記のようにトリチウム濃度は水面から水底まで,一定とみなして計算した。一方,福島沖合に対しては,上記深度プロファイルモデルを用いて各ボロノイ面での存在量を計算した。Fig. 4(a–b)をみると,各々の海域で減少傾向がみられる(トリチウムの半減期は12.3年)一方,沿岸での変動幅は平均量と比べて無視できない量となっている。なお,沖合の存在量は海域面積が大きく,深さも沿岸より深く(Fig. 3(a)参照),大きな値(4節で示すが1F貯留量の1/4程度)となる一方,変動の割合は沿岸と比較し小さい。

Temporal variations of tritium inventory in (a) the coastal, where max and min indicate the cases regarding the measurement values as the detection limit and zero, respectively, when the measurement value is less than the detection limit and (b) the offshore areas painted by green color around 1F port by using Voronoi tessellation method
[Map data: Esri, Intermap, NASA, NGA, USGS, GSI, Esri, HERE, Garmin, INCREMENT P, METI/NASA, USGS (Coastal Area), Esri, NASA, NGA, USGS, Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS (Offshore Area)].
本節では,前節にて記した各域のトリチウム量の変動について議論する。Fig. 5(a)および(b)は,各々,福島沿岸および沖合のトリチウム量の箱ひげ図であり,1年を3ヵ月単位で春(3–5月)夏(6–8月)秋(9–11月)冬(12–2月)と区切り,それらの変動幅を示した(箱の幅は±25%)。沿岸(Fig. 5(a)参照)の結果をみると,中央値は夏,秋に高く,冬,春に低くなる傾向が明らかにみられる。これは,河川水のトリチウム濃度が沿岸の海水濃度よりも高く,河川流量の多い時期に,より沿岸への流量が上昇するためと考えられる24,25)。なお,冬の中央値は低いが,その変動幅は他の季節と比べ大きいことがわかる。これは,鉛直混合が冬の時期に強く進み,特に沿岸では水深も浅く,混合の効果がより顕著となり35),観測される表層濃度に大きな変動が観察されるためと考えられる38)。これらの変動傾向は,放出時の環境影響を評価する上で欠かせない情報になると考えられる。

Box and whisker plots for temporal variations of (a) the coastal and (b) the offshore inventory of tritium estimated by Voronoi tessellation method
The plots are distinguished among four seasons. The range of the box is plus or minus 25% of data around the mean value.
次に,沖合(Fig. 5(b)参照)をみると,沿岸と同じく,中央値は,冬に低くなる傾向がみられる一方,秋が最も高く,春と夏はそれと比べ低い。また,夏の変動幅は他の季節より大きいことがわかる。これは,河川等の流入による影響があることに加えて,沖合では,海面での蒸発39)や降雨が影響するためとも考えられる(沖合での変動要因の詳細は今後の課題である)。なお,Fig. 2(c)(沖合と沿岸のモニタリング結果の経時変化の比較)からわかるように,沖合での海水面での濃度変動は,沿岸のそれと比べて小さく,それはトリチウム量の変動割合にも反映されていることを付記する。
以上,沿岸および沖合にて,上記のような変動が起こる原因をまとめると,海水が蒸発し雲が作られ雨となる水の循環プロセスを介してトリチウムが移行する基本過程,すなわち,水の相変化を介する移行過程の他,大気中で自然生成したトリチウムが降雨によりインプットとして加わる過程,河川からの流入を通して沿岸そして沖合へ移行する過程,そして海水の鉛直混合により攪拌が加わる40)等の水自身の移動に伴う移行過程等が考えられる。これらの自然現象に従って現れる濃度変動は複雑だが,放出時に際し,常に念頭に置く必要があり,今後の研究課題として重要と考えられる(次節参照)。
4. 福島沖合のトリチウム量(過去から現在)と1F貯留量との比較本節では,福島沖合のトリチウム量と1F貯留量26)(2020年時推定:~1 PBq)41)を比較する。Fig. 6(a)は,福島沖合のトリチウム量とその経時変化に対し,1F貯留量との関係を示している。この図より,最近(2013–2020年)の福島沖合のトリチウム量は,~0.21 PBq ± 0.011であり,平均量は1F貯留量のおおよそ1/5である他,沖合でみられる変動量は,その現存量のおおよそ1/10に相当する(Fig. 4(b)およびFig. 6(a)内挿図参照:変動量は1F貯留量のおおよそ1/50程度となる)。この結果から,1F貯留トリチウムを海洋に放出し,その影響を沖合でモニタリングする際,すでに存在するトリチウムは決して無視できないことがわかる。海洋放出により福島沖合に達した場合,すでにある存在量に追加され濃度が変動するが,その際,既存のトリチウム量の変動にも十分注意する必要があることがわかる。一例として,年間当たりの放出量を貯留量の1/10程度とし,上記沖合海域で一様に拡散すると仮定した場合36,40,42~44),その追加増加量は,現在の変動幅と同じオーダーであることがわかる。したがって,上記の放出量以下で放出する場合,福島沖合への影響を明確に確認できないことも想定する必要がある。実際,放出量を1Fの年間管理目標値22兆Bq(2.2 E+13 Bq:貯留量のおおよそ1/50)45)とする場合,上記の沖合の変動分とおおよそ同じ程度の量となり,それらは簡単に区別できるレベルではないことを記す。

(a) A comparison between temporal variation of the offshore tritium inventory and the estimated amount stored inside 1F site. The inset is the average and the variation width of the offshore tritium inventory. (b) The depth profile of the background tritium concentration measured over north Pacific Ocean from 1960s to 2010s. The mean averaged data is also plotted, and the measurement points are also depicted. (c) The tritium inventory of the offshore area from 1960s to 2010s in comparison with the 1F stored one and the planned annual amount of discharge (operational target value before the accident)
[Map data: (a) Esri, NASA, NGA, USGS, Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS, (b) Esri, FAO, NOAA].
次に,福島沖合のトリチウムの過去(Fig. 1:1F事故後のモニタリング体制以前)の存在量を推定する。第二次世界大戦後,1960年代まで,多くの核実験が地上で行われ,大量のトリチウムが地球上に拡散した46)。この核実験由来のトリチウムを含めて,現時点で環境中に存在するトリチウムには,3つの由来があると考えられる。1つ目は,宇宙線由来の大気中で起こる核反応により自然発生するトリチウムで,毎年おおよそ一定の量が地球に供給されている。現在,自然発生由来のトリチウムは,海で平衡状態にあると考えられており,おおよそ北太平洋上にて0.017 Bq/L程度の寄与があると推定されている42,47)。したがって,福島沖合の平均濃度がおおよそ0.07 Bq/Lである(Fig. 2参照)ことから,その1/4がおおよそ自然発生由来であることがわかる。2つ目は,核実験由来であり,1960年代にピークを迎えた後,減少し43),現在は福島沖合のトリチウム量のおおよそ3/4程度を占めることがわかる。3つ目は,原子力施設からの放出由来であり,日本の放出量は,福島事故を境に大きく減少し,現在はほとんど無視できる29)。したがって,現時点(2021年)で,最も福島沖合の海水濃度に寄与しているのは,核実験由来であることがわかる。
次に,この核実験由来のトリチウム量が過去に福島沖合にどれだけ存在していたかを推定する。推定に当たっては,主に文献37),47)にて報告されているデータを用いた。これまで,北太平洋のトリチウムの海水濃度の経時変化が1950年代から2010年代まで測定(測定地点はFig. 6(b)内挿図参照)されてきたが,文献37)では,それらのデータを系統的に整理し公開していることが報告されている。本論文では,その公開データを利用し,まとめてFig. 6(b)にプロットした。Fig. 6(b)では,年代(10年単位)ごとに色分けし,縦軸を水深とし,横軸を濃度とした。Fig. 6(b)から,深度ごとにトリチウム濃度が,年代を経るごとにどのように減少してきたかが明瞭にわかる。これらのデータは,トリチウムという放射性物質の海洋動態を検討する上で貴重な資料である一方,地球環境における海洋の鉛直拡散混合過程を理解する上で極めて有用なデータであることもわかる。なお,1950年代のデータは少ないためプロットと推定には用いず,60年代は北西太平洋のデータが少なく分散が大きいことから,北東太平洋のデータのみをプロットし推定に用いた。なお,北西太平洋のデータは,局所的変動が大きく,高い濃度を示すデータもみられることから,実際のトリチウム量は下記の推定量より大きくなると考えられる。推定では,年代ごとに深度平均値(Fig. 6(b)参照)を求め,それらの値を用いて福島沖合の推定トリチウム量の推移をFig. 6(c)に示した(なお,本節で推定された2010年代の量は前節で推定した量とおおよそ一致する)。もし,年度単位として推定した場合,ピーク年度時の推定量は,年代平均より大きくなることを注意する。以上の注意点を考慮し,この結果から,過去におおよそ30年間(1960–1980年代)に渡り,福島の沖合は1F貯留量以上のトリチウムを保持していたばかりか,1960年代は,おおよそ,その4倍もの量を,10年間を通して平均して有していたことがわかる。これらの事実をもとに保守的な推定として,現在,1F貯留トリチウムがすべて福島沖合に拡散し,一年間滞留すると仮定すれば,おおよそ1.26 E+15 Bqのトリチウムが福島沖合に存在することになるが,この量を超えるトリチウムが,過去におおよそ30年に渡り,その海域に常に存在していたということがわかる。なお,上記の放出後に滞留するという仮定は十分に保守的であり,移流拡散は早く,福島沖合に留まる期間はおおよそ2,3ヵ月程度に過ぎないことが知られている40)。なお,実際の放出に際しては,1Fの年間管理目標値(2.2 E+13 Bq)を目安とするため,その量と福島沖合での量を比較することが重要であり,それらの関係はFig. 6(c)内挿図に示した。
トリチウムの主な被ばくは,魚食を通じた内部被ばく48,49)であることから,過去30年間(1960–1980年代)の魚食による被ばく量は,1F貯留量すべてが拡散し滞留するとした上記の保守的仮定をもとに推定される被ばく量を十分に超えるレベルであったことがわかる。なお,その30年間におけるトリチウムによる内部被ばくは,福島沖合だけでなく,日本全国そして世界的レベルでの共通の事象であったことに注意する必要がある。この事実から,過去の核実験が地上のトリチウムのバランスを大きく変化させたことがわかる一方,1F貯留水中のトリチウム量を海洋放出した際の人への内部被ばくと過去におけるそれとが比較可能となる他,それらが,どの程度の影響(III章3節参照)に相当するかが定量的に推定可能となる。
上記の推定結果から,過去のおおよそ30年間に渡り,1F貯留量レベル(2020年現在の1F貯留量と同等およびそれ以上)のトリチウムが福島前面の沖合に継続的に存在していたことが明らかとなった。これまでに,この事実(上記海域での過去のトリチウム存在量)を議論した文献はなく,1F貯留水の放出に当り1つの参考になる知見と考えられる。なお,このレベルの量の存在による内部被ばく量は,過去(ピーク時の1960年代)においても,現在でも無視できるレベルであることを次章(III章3節)以降にて示す。
本III章では,前章にて推定した福島沿岸および沖合でのトリチウム量の推定をさらに,宮城県および茨城県・千葉県沖合も含む拡大沖合海域へと拡げる。1節では,その拡大沖合海域でのモニタリング体制をもとに,福島沖合でのトリチウムとCs-137の観測量の比較をもとに,拡大沖合海域でのトリチウム量を推定し,その経時変化傾向を議論し,2節にて,その海域でのトリチウムによる内部被ばく量を推定する。
1. 宮城県および茨城県・千葉県沖合も含むモニタリング体制Figure 3(a)は,南東北から関東沖合も含め2013年以降の海域モニタリング体制を示している。赤の点はトリチウムと放射性セシウムの両者を観測する地点であり,緑の点は放射性セシウムのみの観測地点である。また,その海域での水深がわかるように,モニタリング地点での水深が記されている。Fig. 3(a)からわかるように,放射性セシウムについては,おおよそ水深200 m以内の陸棚域を広く南北に渡りモニタリングしている一方,200 m以深の海域については,福島沖合のみ,一部カバーしていることがわかる。この宮城県から千葉県の沖合の陸棚からなる海域は,世界的にみても,魚資源が豊かで優れた漁場50)となっていることから,本海域にてトリチウム量と魚食による内部被ばく量を推定する必要があると考えらえる。
また,Fig. 3(a)で示した海域では,東向き(沖合)に向かう移流拡散とともに南北への移流拡散も支配的となることが,1F事故後に精力的に行われたCs-137の動態研究40)により明らかにされており,トリチウムの海洋放出が行われた際,上記の拡大沖合海域のトリチウム現存量を把握し,放出による影響評価を行う必要があると考えられる。次節以降では,本海域のトリチウム量を推定するため,Cs-137との量比を用いて推定する。
2. 福島沿岸および沖合でのCs-137およびトリチウムの観測濃度の比較本節では,福島の沿岸および沖合で観測されたCs-137とトリチウムの経時変化傾向から両者の関係について考察する。Fig. 7は,Fig. 3(a)に示した福島沿岸(Fig. 7(a))および沖合(Fig. 7(b))でのCs-137とトリチウムの両者のモニタリングによる平均(空間平均)濃度の経時変化を示している。なお,縦棒点線は,1F港湾内において,遮水壁閉合が実施された時期を示している。Fig. 7より,沿岸域では,遮水壁閉合以後,両者の濃度比(トリチウム濃度/Cs-137濃度)がおおよそ一定となったことがみられる。遮水壁閉合以前は,その濃度比は小さく,Cs-137の濃度とトリチウム濃度が同レベルの時期がみられたが,様々な対策(閉合以前に行われた1F港湾海底被覆や汚染水からのCs-137の除去等)51)が行われ,Cs-137の流出が抑制されたとみることができる。一方,沖合(Fig. 7(b))に注目すると,おおよそ,変動は少なく,トリチウムとCs-137の濃度比は,おおよそ一定(~バックグラウンド濃度比)となっている42)。これらの経時変化から,沿岸域では,当初Cs-137の汚染が進んでいた状況を反映していたが,時間とともに,沖合域のバックグラウンド濃度比へと近づいていることがわかる。

Semi-log plot of temporal variations of averaged concentration of Cs-137 and tritium in seawater (Bq/L) in the (a) coastal and (b) offshore areas
The time when the closure of sea-side impermeable wall occurs is specified.
これらの結果から,トリチウムのモニタリングが行われていない,宮城県および茨城県・千葉県沖合の海域においても,福島沖合にて観察されているトリチウムとCs-137の濃度比を用いて,トリチウム量の推定42)を試みることは妥当と考えられる。
3. 宮城県から千葉県までの沖合でのトリチウム量と1F貯留量との比較と魚食による内部被ばく量の推定Figure 8は,Fig. 7(b)から得られるトリチウムとCs-137の濃度比の最大値と最小値を用いて,宮城県から千葉県に至る沖合の海域のトリチウム濃度を推定し,第II章で推定した福島沖合も含めた拡大海域のトリチウム量の経時変化をあわせて示した。なお,推定において,深度プロファイルは,Fig. 3(b)に示したモデルを使った。

The comparison among temporal variations of tritium inventory of the offshore areas for the green color (8 points only) and all the total areas with the amount of stored inside 1F
[Map data: Esri, CGIAR, USGS, Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS].
Figure 8より,宮城県から千葉県に至る沖合まで含む海域のトリチウム量は,最大として,おおよそ1F貯留量となるが,中央値としては,その半分程度と推定される。以上より,海洋放出が瞬時に行われ,1年で1F貯留量のトリチウム(2020年時推定:~1.0 E+15 Bq)41)が上記の海域に一様に拡散し,1年程度,その海域に滞留するという保守的仮定をした場合,本海域での推定最大濃度は,0.14 Bq/L程度となり,おおよそ現在のレベルの2倍程度の濃度となることがわかる。その際,成人の内部被ばく線量を推定すると,1.3 E−07 mSvとなる。その被ばく線量を評価するに当たり,1年間に本海域での魚を50 kg食し,トリチウムの移行係数を1とし,トリチウム1 Bq当たりの被ばく線量として,1.8 E−08 mSv48,49)を用いて計算した(取り込まれた後の化学形態が放出水と同様にHTOの場合)。なお,トリチウムが取り込まれた後,すべて有機結合型(OBT)となった場合,その2倍程度の被ばく線量となる。次に,上記のようにすべてOBTとした場合の被ばく線量を,自然放射線(40KおよびU,Th系列の元素由来)由来の年間内部被ばく量(~0.3 mSv)52,53)と比較すると,その100万分の1程度となり,それはほとんど無視できる量であることがわかる。また,海洋放出が10年程度の期間で行われたケースでは,現在のバックグラウンド濃度から受ける被ばく線量のおおよそ10%程度の追加被ばく線量が10年程加わることとなり,その被ばく線量は,さらに小さい量となることがわかる。さらに,この被ばく評価を1960年代に対して行っても,5.2 E−06 mSvとなり,自然放射線由来と比べて5万分の1程度であり,最も海水中のトリチウム量の多い時代においても,それは無視できる量であったことを記す。
1F事故後,2013年より実施されてきたトリチウムの海水モニタリング結果から,福島前面海域の沿岸および沖合のトリチウム量を推定した。その結果,現在の福島沖合のトリチウム量は,1F貯留量のおおよそ1/5程度となることがわかった。さらに,その変動幅は,現存量の1/10程度であり,1F貯留トリチウムの海洋放出に当たり,環境影響を評価する際,現存量とその変動量のどちらも無視できないことがわかる。また,過去の存在量を推定すると,核実験由来のトリチウムにより,福島の沖合は,過去30年間に渡り1F貯留量以上の量を有し,ピーク時の1960年代には,おおよそ4倍もの量を有していたと推定された。
さらに,モニタリングが行われていない海域も含め宮城県から茨城県・千葉県沖合も含む海域に対し,Cs-137との量比をもとに推定した結果,その海域には,現在でも最大値として,1F貯留量に匹敵する量が存在していることがわかった。その海域は,魚資源が豊富であり世界的にも優れた漁場であることから,魚食を介した年間被ばく線量を現存量に1F貯留量を付加し推定した結果,その年間被ばく量は,自然放射線由来の内部被ばく量の100万分の1程度となり,ほとんど無視できることがわかった。なお,核実験によりトリチウム量がピークを示した時代(1960年代)においても,内部被ばく量は,自然放射線由来の5万分の1程度であり,トリチウムによる内部被ばくによる影響は,過去から現在,そして放出後も,ほとんど無視できるレベルであることがわかった。
以上の推定結果より,1F貯留トリチウムの海洋放出に当たっては,上記拡大海域に拡散混合すると仮定すれば,その量は過去の30年間に存在していた量を十分に下回るだけでなく,魚食を介した被ばく量もごくわずかに過ぎないことがわかる。もちろん,放出に際しては,十分に希釈した上,沿岸・沖合での海水の拡散混合効果を把握し,環境影響を最小限とする放出方針を定める必要があり,滞留は起こらないことをあらためて確認する必要がある。
また,上記の結果から,環境影響を把握するためには,モニタリング体制をさらに充実させる必要があることもわかる。モニタリングでは,放出地点を中心に濃度分布やその経時変化を追跡可能とすることを念頭におく他,陸棚に該当する海域を広くモニタリングすることで,第III章にて記したように漁場への影響を分析する必要があると考えられる。漁場影響を十分なモニタリング体制により観測し評価可能となれば,風評という定量化の難しい課題に対しても十分な科学的知見を提供できる上,その事実をもとに,より深い具体的な議論が可能になると考えられる。
本論文は,日本原子力研究開発機構・福島研究開発部門との連携による成果です。同部門(特に,中山真一氏,渡辺将久氏,操上広志氏,佐久間一幸氏,寺島元基氏)との議論および支援に感謝致します。また,同部門・中野政尚氏との過去のトリチウム濃度の深度プロファイルについての議論は極めて有意義でした。ここに感謝の意を表します。